◆DQ6If4sUjgの物語



第四話 赤い夢の女

きしゃー!

「タの字、そっち行ったぞ!」
「だから俺は太一だっtあぎゃあああああああああ!!!?」

言いながら振り向くと、いかにも悪魔といった外見をした魔物が
こっちに向かって突進してくるところだった。
手に持っている槍のフォークのような形状をした刃先がぎらりと光る。

「おわあああああこっちくんなあああああああああ!!」

おいおいおい、あんなもんが腹に刺さりでもしたら!
避けようにも足はがくがくと笑ってやがる。腹を決めて、俺は手の中のブロンズナイフをぐっと握り直した。
三人は他の魔物にかかりっきりになっている。自分で何とかするしかない!

……なんでいきなりこんなことになってるんだって?
よしわかった、説明しよう。あれは今から36万…いや1万4千年前だったか。……まあいい。
私にとってはつい昨日の出来事だが、君たちにとっては……って、このネタは微妙に賞味期限切れか?





俺は左頬をさすりながら、町の人たちから情報を集め歩くボッツたちの後ろを歩いていた。
さっきまではまさに紅葉のように赤く腫れていたのだが、
今ではその面影さえも無い。ミレーユが治してくれたのだ。

「動かないで」

と言って優しく頬に手を添えられた次の瞬間、その手から暖かい光が溢れ、消えた。
そしてその時には、俺の体からすべての痛みが消えていたのである。
ミレーユの話では、今のは治癒呪文の一種で、ホイミというのだそうだ。
基本的な呪文の一つであり、呪文の素質がある人間ならば
大体一番最初にこの呪文を覚えるのだという。Oh、ファンタジー……。
初めて呪文を見て絶句してしまった俺に、
「本当に違う世界から来たんだな」とボッツが物珍しそうに言った。
つまりそれくらい、この世界では呪文なんてあって当たり前なのだ。
こちらの世界ではゲームや漫画の中でしか存在していないというのに。
まったく便利な呪文だ。こんな呪文が俺の世界にもあれば、と思ったが、
そうなると外科医はみんな首を吊らなければいけなくなると気づき、すぐに考えを改めた。
っていうか、いきなり頬に手を添えられたもんだから
反射的にちゅーされるのかと思ったじゃねえか!謝れ、俺の純情に謝れ!

その後、俺は彼らからこの世界について簡単に教えてもらった。
どうやらここは魔法と剣で魔王と戦うようなファンタジー世界ではあるけれど、そう単純ではないらしい。
まずこの世界には、上と下に別々の世界が存在している、ということ。
今俺と彼らがいるのは幻の大地と呼ばれている下の世界で、
上の世界とほとんど同じでありつつも、細部が違っているとか。
なるほどパラレルワールドのようなものかと考えていたのだが、どうも違うようだ。

ミレーユが言うには、上の世界はすべて夢で、ここ幻の大地こそが現実なのだという。
上の世界は下の世界の人々が見ている夢そのもの。
だから町並みは同じでも、そこに暮らしている人々やその関係は微妙に違っている……らしい。
そして上の世界に開いている大穴や、不思議な光が溢れている井戸などから
二つの世界は自由に行き来できるんだとか。だが――――

「上の世界から来た人は、夢見のしずくを使わない限り下の世界の人に姿が見えることはないの」
「夢は寝ている時にしか見られないだろ?ま、そういうことだ」

あー、だから"夢見"のしずくか。
しかし俺はあることに気づいて慌てふためいた。
この世界に来た時俺の体は透けていた、つまり俺は夢の世界の住人扱いされてるってことだ。
今はボッツたちのおかげで肉体を取り戻したが、幻の大地にとっては夢であることに変わりない。
ということは、俺や同じく透けていたらしいボッツたちは
いつか消えてしまうということにならないだろうか?覚めない夢なんて無いのだ!
そう訴えると、ミレーユは静かに微笑んだ。

「大丈夫よ、そんなことにはならない」
「な、なんでわかるんだ?」
「ごめんなさい、今は言えないわ。でも、時が来ればきっとわかる……」

はぐらかすような彼女の答えに戸惑った俺は助けを求めるようにボッツとハッサンを見たが、
二人は肩を竦めたり、首を横に振るばかりだった。
どうやら二人もそのあたりについてはよく知らないらしい。
というか、同じような質問をぶつけたことがあるんだろうな。
そして未だにわからないまま今に至る……と。
もしかしたら一緒に旅をしてから、そう日は浅くないのかもしれない。
それからもうひとつ、彼らは魔王ムドーを倒そうと旅をしているらしい。
更に、そのために必要な"ラーの鏡"というものを探して旅をしているとのことだった。
つまり俺と目的は同じ、というわけだ。
いやまあ、魔王を倒せば元の世界に帰れるなんて保障はないけど。

「なあ、タイチはこれからどうするんだ?」
「……どうしよう」

正直言って手詰まりだったりする。
スケスケな体を活かして、「ドキドキ☆魔王様暗殺計画!」は水泡に帰してしまった。
ボッツたちは強そうだから任せておけば魔王を倒してくれるかもしれないが、
他人任せで元の世界に帰れるとも思えない。
かといって、魔物と戦う技量なんて無いから町から出られないし、
そもそも装備を調達するにも無一文だ。
サークルで多少鍛えているから、やろうと思えば素手で出来なくはないかもしれないけど。

「じゃあさ、俺たちと来ないか?」
「え!?い、いいのか!?」
「目的は一緒なんだ。タイチさえ良ければ一緒に行かない理由はないよ。なあ二人とも、いいよな?」

ボッツが振り返ってハッサンとミレーユに言うと、二人は躊躇なく頷いた。
じんと目頭が熱くなる。
思わず俺は俯き、日本人特有の卑屈っぷりを発揮してしまう。

「で、でも俺、戦いの経験は……魔法も全然使えないし」
「最初はみんなそうだよ。俺も村から出た時はひよっこだったし」
「大丈夫、女の私でも戦えるんですもの。あなたにできないわけがないわ」
「そうそう、これからみっちり鍛えてやるぜ。改めて、これからよろしくな!」
「…ああ!ありがとう!」

ボッツ、ハッサン、ミレーユがなかまになった!

……というわけで、幸運にも俺はボッツたちと行動を共にすることになった。
せめて邪魔にならないようにしないとな、ということで、こうして後ろを歩いているのだ。
マジ良い人たちだよなぁ。ボッツたちと会えて本当に良かった。
ちなみにあの大きな家を訪れる時には、俺は外で待たせてもらった。
え?なんでかって?そりゃあ……お前……。

さて、この町(村にしか見えないが)はアモールという名前らしい。
上流の洞窟から流れてくる綺麗な川が名物で、この水目当てに訪れる人も少なくないとか。
魔王がこんな綺麗な川を放っておくわけがないと怯えるおばさんがいたが、
魔王っていうのはたかが水を好んだり疎んだりするものなのだろうか。

「さあ……わからないわ。ただの綺麗な水なら興味は持たないでしょうけど、
もしここの水が何かしらの力を持っているのならば、放ってはおかないでしょうね」

ミレーユが言うにはこうらしい。なるほど。
うーん、しかしアモールか……。
なんか聞いたことあるんだけど、なんて意味だったっけ。

「よし、これでだいたいは回ったな」

夫の趣味でバニーガールの格好をさせられている奥さんと
それを喜ぶ子供の家を出ると、ボッツはそう切り出した。
しっかしあの子供、しっかり夫の遺伝子を受け継いでるな。
なーにが「僕のママはうさぎさん。ねっ、かわいいでしょ!」だ。羨まいやけしからん。
人妻趣味は無いんだが、ああいうのもなかなか悪くな……おっと、今はそれどころじゃないんだった。
俺たちはまたいびつな四角形を作り、今まで集めた情報を整理した。

町には「カガミのカギ持て、しからば月鏡の塔開かん」という古い言い伝えがあること。
上流の洞窟の奥にはそのカガミのカギが眠っているが、
20年程前の地震で洞窟が崩れてしまい奥には行けなくなってしまったこと。

「この情報は重要だな。月鏡の塔っていうのは、ここに来る前に立ち寄ったあの塔のことだろうし」
「ええ。ラーの鏡と深い関わりがあると思うわ」
「でも鍵があるっていう洞窟は崩れちゃって奥には行けないんだろ?」
「うーん、どうにかして掘り出せねえもんかな」

ずいぶん昔にその宝を狙って二人組の盗賊が洞窟へ入っていったが、
帰ってきたのはひとり――――ジーナという女性だけだったということ。
それからひっそりと町に住み着いたジーナは教会で下働きをしており、
宝を追い求めている旅人が町を訪れると、相手が誰だろうと叱りつけるということ。
そして、いったいどんな悪夢を見ているのか、毎晩うなされているということ。
最後の情報は特に困りものだった。宿屋がいっぱいで、今夜の宿がないらしいことだ。
旅慣れている風の三人も、これにはさすがに戸惑いを隠せないようだった。

「さて、今夜の宿だが……どうする?別に俺は野宿でもいいんだが……」

そういうわけにもいかないだろ、とハッサンはミレーユと俺を見た。
それに応えるように、ミレーユは柔らかく微笑む。

「旅の辛さは十分にわかっているつもりよ。野宿くらい、何てことないわ」

ミレーユさんマジ女神。俺も平気だと横に首を振った。
確かに旅慣れてはいないが、野宿できないほどやわじゃない。
そうか、悪かったなとハッサンはばつが悪そうに後頭部を掻いた。

「なあ、ちょっと教会に行ってみないか?神父様なら何とかしてくれるかもしれない」

ボッツが川を挟んで向こう側にある建物を指差した。
三角屋根の頂点に立つ十字架は、まさしくそこが教会だということを示している。
へー、ああいう信仰を表す象徴も同じなんだな。
こっちだとキリスト教やらイスラム教やら仏教やら色々あるけど。

「泊めてもらえるかしら?」
「頼むだけ頼んでみよう。やらないよりマシさ」
「確かに。男は度胸、何でも試してみるもんだ。よし、行ってみようぜ!」

どこかで聞いたことのあるような台詞を言って、ハッサンは意気揚々と教会に向かって歩き出した。
俺とボッツ、そしてミレーユがその後に続く。
しかしハッサンの後ろ姿はあんまり見ていたいものじゃないな…。
まあだるだるなソレよりかはマシなんだが……うん、引き締まっているのも何かさ…。
極力視界に入れないように歩いているうちに、教会へとたどり着いた。
近くで見るとますます大きい。
屋根や壁に塗られた塗料は見たところ剥げているところはなく、
また教会の周りに植えられている色とりどりの花が美しく咲き誇っていることから、
こまめに手入れしている人間の存在が伺えた。

(ジーナさんって人かな)

いや、話から察するにもういい歳になっているはずだ。
花はともかく、壁やら屋根やらの手入れは難しいだろう。

「おーいタの字、行くぞー!」
「あ、ああ!ごめん!」

はっと我に返ると、ハッサンが教会ならではの大きな扉を開けようとしているところだった。
置いていかれまいと慌てて駆け寄る。っていうか俺はタイチだってばよ!

「ずいぶん熱心に見てたようだったけど、もしかして花を見るのは初めてなのか?」
「別にそういうわけじゃ……ただ、きれいだな〜と思って」
「おいおい、ちょうちょ追い掛けてはぐれたりしないでくれよ」
「しねえよ!ガキか俺は!」
「うふふ。ほら、行きましょう」

教会の扉をくぐりながら、俺は自分がこの三人にすっかり気を許していることに内心驚いていた。
あまり人見知りする方ではないが、初めて会ってから半日も経っていないのに
この打ち解けようは少々図々しいくらいだ。
それは恐らく、三人の人柄がそうさせてくれるのではないかと思う。
普通ならば、自分は異世界から来たのだと言い張る怪しい男とは関わり合いになりたくないと思うだろう。
少なくとも現代社会では皆腫れ物に触れるような扱いをするに違いない。
だというのに彼らは俺を遠ざけず、成り行きとはいえ共に行動することを許してくれた。
さっきのように野宿の心配もしてくれる。なんて気持ちの良い奴らなんだろう。
一刻も早く戦えるようになって、少しでも役に立てるようにならないとな。自信ないけど!
と、腰に提げたブロンズナイフの柄を握りしめてそう思う。その他にも鎖帷子、毛皮のフードを見繕ってもらった。
ブロンズナイフと鎖帷子はお下がりだが、他は新品だ。
あ、あと靴も!俺この世界に来た時パジャマ姿だったから、裸足だったんだよなぁ、ははは。
それから丈夫そうな服を防具屋から格安で譲ってもらった。
いやあ、お世話になりっぱなしで本当に申し訳ない。
その分頑張らせていただきますってタイチはタイチはこの場を借りて決意表明してみたり!
って、俺がやっても気持ち悪いだけだな……ごめん。

初めて足を踏み入れる教会は、思ったよりも殺風景なところだった。
入ってすぐ目に入ったのはいくつかの扉で、他には上に続く梯子があるのみ。
人一人分くらいしかないその梯子を昇って、ようやく教会らしい光景が広がるといった感じだった。
まず目に入ったのは壁に掲げられている大きな十字架。
その左右には、大小四つのステンドグラスが陽の光を受けてきらきらと輝いている。
梯子を登り切って少し進むと、赤い絨毯の柔らかい感触が返ってきた。
その絨毯も決して大きいものではない。せいぜい縦120cm、横60cmといったところか。

「タイチ、どうしたの?」
「いや、想像してたのと結構違うなあ、と…」

まあこれも綺麗っちゃ綺麗なんだが、
テレビでよく見るでっかい教会みたいなものを想像していたんだ。
こう言うのも何だけど、正直拍子抜けというか期待はずれというか。
まあ世界が違うんだから期待したものと違うのは当然なんだけどさ。
でもステンドグラスとか結構一緒なんだよな……。

「あら、そう?でもそうね、こういった作りの教会は珍しいかもしれないわ」

囁くようにそう言って、ミレーユはゆっくりと教会を見回した。
ということは、俺の期待するような教会がこの先あるかもしれないということか!
うーん、それは楽しみだ。こういう歴史を感じられる建物、結構好きなんだよなあ。
修学旅行で行った京都の寺とか神社とかめちゃくちゃ楽しかった。
特に伏見稲荷大社、あそこ良いよな!ああ、また行きてえなぁ……。

「ここは神に導かれし迷える子羊の訪れる場所。我が教会にどんな御用でしょう?」

ぱたん、と分厚い本が閉じられるような音がした後、
透き通るような声が耳朶を優しく叩いた。静かな教会によく響き渡る声だ。
思わず振り返ると、まさしく女神のような微笑みを浮かべた女性が
腰ほどの高さの祭壇の向こうに立っていた。
頭をすっぽりと包み込むベールに、首から足首まで全てを覆い隠すような長いワンピース。
全体的に青と白とを基調としたその服を身に纏っている彼女は、誰がどう見てもシスターだった。
おいおい、十字架といい、いくらなんでも俺の世界のと酷似しすぎじゃないか?
実際に魔法を体験してなかったらドッキリじゃないかと疑いたくなるくらいだ。
まあ中世ヨーロッパと思えばいいのか。案外、ファンタジー方面に進化したパラレルワールドなのかもしれないな。

ボッツたちは、恐らく聖書である厚い本を細腕に抱えたシスターに恭しく一礼した。
俺もワンテンポ遅れてそれに続く。
ほどなく頭を上げた後、口を開いたのはボッツだった。

「シスター様、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。
私たちはしがない旅人でございます。実は宿屋がいっぱいで今晩泊まるところがなく……」
「まあ、それは大変!少々お待ちください。神父様を呼んで参りますわ」

ボッツが話し終えるのを待たず、シスターは俺たちの前を通り抜けると
隣の部屋に引っ込んでしまった。
ずいぶんせっかちなシスターさんだな。新人なのかな?

「?どうしたんだよタイチ、変な顔して」
「いや、敬語使えるんだなーと思って」
「おいおい、ひどいな!」
「いやあ、だってさ……」

俺は変な顔のまま、目の前のツンツン頭をじろじろと眺めてやった。悪かったな変な顔で。
昔やったゲームの影響か、俺の中ではゲームだの漫画だのの主人公は
目上の人にもタメ口を使うようなイメージがこびりついている。
そしてボッツはいかにもゲームの主人公といった感じの外見だ。
そういうわけなもんだから、ボッツが丁寧な敬語を使えることにちょっと驚いてしまったのだ。
誠に勝手な言い分であることは自覚しているので突っ込まないでくれると僕嬉しいな。
と、そこでハッサンがにやりと笑い、ボッツの脇腹をつんつんと肘でつついた。
その動き若干古くね?

「そうだなあ。まるで王子様―――みたいだったぜ?」
「お、おいハッサン!」
「ふふ、そうね。お辞儀も様になってたわよ、ボッツ」
「ミレーユまで……ああもう、勘弁してくれよ」
「??」
「お待たせいたしました。神父様、この方たちですわ」

三人のやりとりに首を傾げていると、
さっき引っ込んだばかりのシスターが誰か(神父だけど)を伴って戻ってきた。
神父もこれまた、誰がどう見ても神父といった感じの服装をしている。
顔やら手やらのしわから見るに、年齢は俺より三、四回りくらい上だろう。
シスターに連れられてきた神父は俺たちを見ると、にっこりと微笑んだ。
しわだらけの顔がますますしわくちゃになる。

「ようこそいらっしゃいました。シスターからお話は聞かせて頂きました。
何でも今晩泊まるところがないとか。それはそれはお困りでしょう」

俺たちが揃って首肯すると、神父は顎に手を当てて
少々思案する素振りを見せたが、すぐに「よろしい」と深く頷いた。

「困っている人を助けるのが教会のつとめ。
下の一番左の部屋にいるジーナ婆さんに頼んでみなさい。きっと何とかしてくれますよ」
「やったぜ!ありがとうございます、神父様!」
「ありがとうございます。助かりましたわ」
「いいえ、聖職者として当然のことをしたまでですよ。神もそれをお望みでしょうから」

それでは、と神父は一礼して、隣の部屋に戻っていった。
ボッツたちやシスターも一礼を返して見送る。
俺はまたもやワンテンポ遅れて、彼らに倣って同じようにした。
あいにく無宗教なんだよなー。こういうノリはなかなか慣れないぜ。
まあ、お辞儀されたらそれを返すっていうのは当然の作法だけどさ。
再び祭壇についたシスターにも一礼し、俺たちはさっそく梯子を下りた。
ミレーユがスカートじゃないのが非常に残念だ。

ええっと、ジーナばあさんは一番左の部屋にいるって言ってたよな。
ノックをして扉を開けると、臙脂色のワンピースを着た婆さんが木の椅子に腰掛けていた。
すっかり髪も白く、腰が曲がってしまっているその婆さんは
胸元から伸びる鎖(ペンダントか?)を手にとってぼうっとしていたが、
来客に気づいたとたん眉を吊り上げ、杖に頼りつつも勢いよく立ち上がった。

「なんじゃい?お前さんたちは?」
「こんにちは、ジーナさんですよね?あの、俺たち」
「わしはここんところイヤな夢ばかり見ててイライラしてるんだよ!
用がないのならさっさと出ていっておくれ!」

……これだよ。まあお約束と言えばお約束っぽいけど。
思わず「更年期障害ですか?」と返しかけた俺を押し留めて、
ボッツがずいと前に進み出た。

「突然押しかけてすみません。
実は今夜の宿が無く、神父様のご厚意でこちらに泊まらせていただくことになったんです」
「そ、そうそう。ジーナ婆さんに部屋を用意してもらえって。なあ!」
「え、ええ」

正確には「ジーナばあさんに頼んでみなさい」としか言われていないのだが、
あれは「泊まっていってもいいですよ」と言われたも同義だろう。
ちょっと拡大解釈が過ぎるかもしれないが、
教会の主である神父が「よろしい」と深〜く頷いてくれたんだ。
大丈夫だ、問題ない!……はずだ、うん。

取り繕うように頷き合う俺たちをジーナ婆さんは疑わしそうに見つめていたが、
やがて大きく長い溜め息を吐くと、不機嫌そうに杖の先を床に打ち付けた。
その動きで婆さんのペンダントが揺れ、床からは鈍いとも鋭いとも言い難い音が響き渡る。

「ああわかったよ!泊めてあげるよ。
隣の部屋が空いてるから好きに使いな。まったく神父さんも……」
「あ、ありがとうございます」
「ふん。わかったらさっさと出て行きな!わしは機嫌がすこぶる悪いんだ!」

半ば追い出されるようにして部屋を出て、隣の部屋で俺たちはようやく一息ついた。
ベッドが並び、テーブルと椅子が置いてあるだけの素朴な部屋だったが、野宿するよりは何倍もマシだ。
ベッドもちょうど四人分ある。これも神の思し召しというやつだろうか。
俺は部屋に入るなり、ベッドに倒れ込んだ。

(はー、疲れた……)

まったく今日は色々起こりすぎだ。
突然異世界に飛ばされて、透明人間になったと思ったら元に戻って、
魔王を倒すために旅をすることになって……ふう。
それにしても、こういう部屋が用意してあるってことは、
俺たちみたいに宿屋からあぶれた奴らがちょくちょく訪れるのだろうか。
この町は川の水目当ての観光客が多いみたいだし……。
あ、いけね。考え事してたら、何か眠くなってきた。

「んで、どうするよボッツ。噂の真偽を確かめようにも、洞窟は埋まっちまってるぜ」
「そうなんだよなぁ……イオとかが使えれば掘り進んでいけそうなんだけど」

ああ、ボッツたちが話し合ってる。俺も参加した方がいいよな。イオって何だ?
ああでも、眠くて体が、もう…うごかn……、……………。

「うーん、どうしたもんか。なあタイチ、何か良いアイディ……あれ?タイチ?」
「……眠ってしまったみたいね。無理もないわ。色々あって疲れたでしょうし」
「ま、今は眠らせてやるか。たぶん洞窟には魔物が巣くってるだろうし、今のうちに体を休めておいた方がいい」
「そうだな。よし、起きたら存分にこき使ってやろう。それで話の続きだけど――――」







そして 夜があけた!



……あれ、俺寝てたのか。
やっべえ、明日提出のレポート全然できてないぞ。
あれで成績決まるようなもんだし、早く片づけちまわないと。
でもあと五分、あともう少しだけ……。

「おいタイチ!起きろ!」

んん〜…?誰だよ…って勇しかいないか。お前はまた兄を呼び捨てにしやがって。
お兄ちゃんそれが嫌なら兄貴と呼びなさいと言ってるのに、
まったく年子だからっていつもいつも……。

「あん?ユウ?何言ってんだ。ほら、寝ぼけてないで起きろ!」

いやあああああああああああああお布団剥がすのだけはやめてええええぇぇぇえええ!!!
わかった起きる!起きますからあああああああ!!

急に外気に晒されて体を縮こませる俺の目に飛び込んできたのは、
たった今俺から剥いだ布団をごつい手に持ったムキムキの肉体にふんどしを締めたモヒカン男だった。
思いもしていなかった光景と身の危険に思わず叫びそうになったが、寸前で何とか飲み込むことに成功した。
モヒカン男――――ハッサンが怪訝そうに眉根を寄せたが、かぶりを振って何とか誤魔化す。
そうだそうだ、ファンタジーな世界に飛ばされちゃったんだっけ俺。すっかり寝ぼけてたぜ。

「まーったく、やっと起きやがったか」
「一番先に寝て一番後に起きるなんて、いくらなんでもちょっとだらしないぞ」
「ふふ。おはよう、タイチ」

ハッサンが布団を畳みながらぼやき、ツンツン頭を揺らしてボッツが笑った。
その隣ではミレーユが静かに微笑んでいる。既に身支度は済んでいるようだ。
俺はごめんごめんと照れ臭さに後ろ頭を掻いた。
この様子からすると、ずいぶん寝坊してしまったらしい。
くそっ、ミレーユの寝間着姿と寝顔を見損ねるとはなんたる不覚!次こそは!

「……んで、何かあったのか?」

不純な決意を胸に秘めたところで、俺は開口一番そう言った。
布団を剥がすなんて、いくら俺が起きなかったからと言ってもずいぶん乱暴な起こし方だ。
早く起こさなければならない用事があったのではないか、と容易に推測できる。
それにボッツたちは笑っていたが、その笑顔が心からのものではないことはなんとなくわかった。
……いや、単に俺が全然起きないから強硬手段に出ただけで、
内心俺の怠惰っぷりに怒ってるだけかもしれないけどな!
何にせよ、幸いにも俺の推測は当たったらしい。笑顔から一変、神妙な顔でボッツたちは頷いた。

「どうやら、ここは上の世界みたいなんだ」
「は?」

上の世界――――つまり、ボッツたちが元々暮らしていたっていう夢の世界?
おいおいおいおい、なんだそりゃ。
寝てる間に下から上にワープしたってことか?どんなイリュージョンだよ。
引田天功やミスターマリックもびっくりだ。
だけどここは魔法や魔物が存在するファンタジー世界。
何かあるたびに驚いてちゃきりがない。どっしり構えてなくちゃな。

「ここにはシスターの方もジーナさんもいないわ。ただ、神父様と下働きの男性が一人」
「その神父様も昨日のとは別人だけどな。あと……」

ボッツたちに連れられて、俺は教会の外に出た。やけに町が騒がしい。
それなりに賑やかな町ではあったが、川のせせらぎを打ち消すまで人々の声は大きくなかったはずだ。
ああでも、ここは夢の世界だから下とは違っても当然なのか?
けれど外を歩いたり知り合いと話す人々は皆不安そうな顔をしていて、
町を包む声も賑やかというか、どよめきに近いものだった。
いったい何が、とボッツの肩に手を伸ばそうとして、微かに鼻をつく臭いに俺は動きを止めた。
生臭いような、鉄を口に含んだような――――

「う、あ……」

そしてようやく、俺はそれに気づいた。
上流から流れ、町のそこかしこを流れる美しく、透き通るようだった川。
その水が鮮烈な赤に染まっているじゃないか!
体中を戦慄が駆け回り、肌がぷつぷつと粟立つ感覚に襲われた。
なんだこれなんだこれなんだこれ。何の悪い冗談だよ!?
さっき「何があってもどっしり構えてよう」なんて決めたけど……こんなのに驚かないでいられるかよ!

「は、はは……なんだよこれ…。誰かがペンキでも流したのか?」

茶化しながらも声を震わせる俺に、ボッツは左右に首を振った。
ああ、そんなのありえないことぐらいわかってる。
さっき鼻をついた生臭い臭い。
あれは間違いなく、俺の体に流れているものと同じ。
血だ。

「ごめんなさい、一言言えばよかったわね。一目見た方が早いと思って……」

ミレーユが心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
きっと真っ青なんだろうな。ああ格好悪ぃ。
込み上げた吐き気を振り払おうと、俺はかぶりを振った。
さすがにこの光景は、血もろくに見たこともない現代っ子にはちょっとばかしキツいものがある。
俺に気を遣ってくれたのか、彼らもさすがにあまり外にいたくないのか、
俺たちはいったん部屋に戻ることになった。これからどうするべきなのか、話し合わなければならない。

「まず異変に気づいたのはボッツだったの」
「ああ。顔を洗おうと思って、外に出たんだ。そうしたら上流の滝の方から……」

そこまで言って、ボッツは苦虫を噛み潰したような顔をして口をつぐんだ。
ああ、大丈夫だ。その先は想像がつく。

「で、慌てて部屋の俺たちを呼びに来て……ってことだ。何かあったとすれば、多分上流にあった洞窟だろうな」
「ああ。原因を突き止めれば、自ずと川も元通りになるはずだ」
「そうね。もしかしたら、こちらの世界の洞窟はまだ崩れていないかもしれないわ」
「ってことは、奥にはカガミのカギが……よし、行くか!」

三人は頷き合い荷物を手に取ったが、次には気遣わしげに俺を見た。
恐らく、洞窟には魔物と呼ばれる化け物が襲ってくるだろう。戦い慣れていない俺は足手まとい。
魔物を前にして、さっきみたいにびびってしまったら命の危険もある。
危険に曝されるのは俺だけじゃない。ボッツたちは良い奴だから、俺をかばって……なんてこともありうるわけだ。

「タイチ、あなたは……どうする?」


どうするよ、俺。


自分を、みんなを危険に曝すくらいならここに残って帰りを待っていた方がいいかもしれない。
武器なんて持ったのは人生で今日が初めてだ。
ボッツやハッサンに少しずつ教えてもらいながら戦いに慣れていった方がきっと良い。
いきなり実戦なんて、俺には絶対無理だ。



けど。



かつて母さんに、「あんたは逃げ癖があるのよねえ」と嫌味のように指摘されたことがある。
ここで逃げたら、俺はこれからも何かと理由をつけてずるずる逃げていくに違いない。
まだ不安だから、まだ俺は未熟だから、きっとそんな理由で。


「……俺も行くよ。連れていってくれ」



タイチ
レベル:1
HP:20/20
MP:0
装備:ブロンズナイフ
    くさりかたびら
    けがわのフード
特技:とびかかり