修士◆B1E4/CxiTwの物語



【崩れ落ちる英雄】 [1]

ゾク「33か月前。我々は、外世界からの干渉の存在を示唆する証拠を得た。
  それは、無名書の解読による新たな知見である。
  ただしこの外世界はアーシュ、お前のそれとは異なるものも含むと推測される。
  そのことは後に話そう。

  お前が初めて『無名祭祀書』に触れたとき教えたな。これらは謎多き書籍だと。
  実はその少し前、レオ王国の所有するその一冊が解読されていた。
  その書には、魔導の大いなる祖と敬愛される賢者トートに関して、
  曖昧ながらも恐ろしき事実が示唆されていた」

ダグフ「我々がこれまで、数々の伝承や書に見てきた彼の姿は、英雄的であった。
   しかしこの無名書には、それと異なる、無視できない記述が存在した。
   『その活躍は、償いきれぬ彼の原初の罪と生きる罪を忘れさせるように
   大きく賞賛された』、と。

   そしてレオ王国が導いた一つの仮説。それは、彼の人間としての評価を
   根底から覆し、他の無名書の解読と併せて、この仮説はほぼ確定した。
   別の箇所に記載されていた彼の呼称『長爪の賢者』と、二つの罪。
   原初の罪とはすなわち、『裏切り』だ」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・2週間前。

昼から夕方に差し掛かる時間帯。
その人を最初に見つけたのは、どうやら僕らしかった。
道の通っていない裏の林から出てきたその人を見て、僕とバル君は少し戸惑う。
その顔が、紫がかった黒さと異様に細長い耳を持っていたからだ。

それはこれまで幾度か見かけた、ダークエルフという種族のものだった。
彼らはエルフと同様、老いが表れにくいのだが、
エルフのような数百年の生は持たず、人間と大差ないという。
だから、皺がわずかに刻まれた目の前の顔は、壮年ではなく老年のものに違いない。

また、ただの布切れのようなその身なりは、以前旅の扉を訪れた際に鉢合わせた、
ゴッドサイド出身の修道者を思い出させた。
その彼が、バル君を見て言う。

?「・・・・・その服装は先生のお弟子さんだね。
 すまないが、ひとつ頼まれてくれるだろうか。クリフト先生か、
 無理なら・・・・ダグファとゾクのどちらかでもいい。
 ノームが来たと伝えてくれ。・・・私は2号館の1階にいる。
 ・・・・先生方の研究室はまだあそこにあるのだろう?」

その人(ダークエルフ人というべきか)が衰弱していることに、僕は気づいた。
僕と大差ない上背を保ってはいるが、棒切れ一本の支えなく立つ様が奇跡に思える。
それが老体の印象を僕らに与え、そして何よりその表情は疲労、労苦の塊だった。

ノーム「心配ない」

僕らの心を貫く言葉だった。・・・・・やがてその人は、再び歩き出す。

バル「あ、ちょっと!ご無理はなさらずに!」

慌ててバル君がそばに付き添う。
どうやら、僕が急ぎ学校に戻る係となったようだ。今の時間だと先生は・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・

『本当に、そう名乗ったのだな!』

僕の知らせを聞いたゾクさんの、最初の言葉だ。
傍にいたダグファさんは黙っていたが、同じ気持ちだったのだろう。
僕に強い視線を向けていた。

一階には既に、あの人とバル君が椅子で待っていた。
すぐに右手の廊下からクリフトさんが、ペトロさんと、
クリフトさんを呼びにいったダグファさんを連れてやってくる。

ノーム「皆様お久しゅうございます。お元気そうで」

二、三の社交辞令が交わされた後、ダグファさんが、
クリフトさんの部屋に向かおうとノームさんに促す。
そして三人が、上階への階段に進み始めた。

ゾク「二人ともありがとう。
  ペトロ。先生との話が中断してすまなかったな。
  我らは少し席を外す」

先の三人にゾクさんも加わり、僕ら三人が残った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

廊下の途中で不意にノームは立ち止まり、話を始めた。
聞けば、彼はまず先生と二人で話したいという。
その言葉に三人は少々戸惑ったようだが、
互いの顔を見合わせると、結論は早かった。

クリフ「・・・・わかりました。
   二人ともありがとう。後は私で大丈夫だ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ペトロ「ごめんなさい。よくは知らないの。でも・・・・私が来たばかりの頃、聞いたわ。
   昔先生から独立した人に、そういう名前を。ほらアーシュ、あなたの部屋。
   あの部屋は前に、あの人が使っていたのよ。あれはええと・・・・・何年前かしら」
ゾク「24年になる」

振り返ると、ゾクさんが戻ってきていた。

ゾク「まあ独立か。ノーム先生もここを離れた一人でな。
  お前が来るよりも10年前も前に、ここを旅立った。
  まだ私の経歴が、武闘家としての方が長かった頃だ。
  当初は、どこを訪れたとか、どこを後にしたとか、
  そんな話を人づてによく聞いたものだ。

  ダグファやお前のような実践技術ではなく、魔導知識に大変造詣が深いお方でな。
  当時それは、師であるクリフト先生を超えるとも評されていた。
  ・・・・正直言って、まだご存命とは思わなかった。
  もうかなりのご高齢・・・・・90に近いはずだ」


・・・・・・・・・・・・・・

クリフトはノームの弱々しい動きを気遣い、ソファへ座るよう促す。
ノームも限界だったのか、静かに腰を下ろした。

ノーム「おお・・・・久しぶりにご尊顔を拝見しました。
   幼少の頃、一度だけお目にかかったことがあります。
   ご高齢だったが、それでも聖女のような雰囲気をまとっておられた。
   ・・・・・あれからもう、何十年になるでしょうか」

それは、壁に掛かった大きな肖像画の顔。
向かいに座ったクリフトもまた、その褐色の老婦人を見つめていた。

クリフ「ミネアさんと二人、北の賢者、南の賢者と呼ばれた時代もあった」
ノーム「先生はまだお元気そうで」

クリフトは、その言葉の奥に潜む言葉に返すように、腕の紋章を見せる。

クリフ「私も年だよ。もういろいろなところにガタがきてる。
   ・・・・・ふふ。・・・・・これを言いだして出して何年になるだろう。

   でもこの紋章は色あせない。
   彼女が亡くなった後、これが呪いの刻印に見えたこともあった。
   友の消えゆく様を見届ける宿命の刻印だと。・・・・・昔の話だ。」

ノーム「・・・・・・お伝えしたいことがあります、先生。
   ここに無名書を持参してきました。旅先で発見したものです。
   ついに無名書の解読に成功いたしました。
   私が得た知見をどうか、先生のお耳に。
   そして・・・・・再び旅立つ私をお許しください」

・・・・その日ノームが語ったことが世に洩れることは、ついぞなく、
歴史の闇に消えることになった。

・・・・・・・・・・・・・・・・コン、コン。

ダグフ「・・・失礼します」

ダグファが部屋に入ると、つい先ほどまでノームが着ていた布切れが、
主人の体だけ失ったかのように、無造作にソファの上にあった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ゾク「結論を述べよう。
  賢者トートは、人間ではなかった。そして彼こそ、
  忌まわしき魔物帝国にて魔王の右腕として働き、奴隷を虐げていた者だったのだ。
  彼・・・・いや、彼という呼称すら正しいのかわからないな。

  とにかく、彼がいつ帝国に現れたのか、それはまだ不明だ。
  確かなことは、人の生の及ばぬ永きにわたって彼は帝国に存在し、
  そして最後には、帝国を裏切ったということ。
  さらに彼は、帝国の者からも『知の彼方の使者』と呼ばれ、恐れられていた。
  その記述に類似し、真実を掻き消すように幾通りも書かれた、魔物と彼の関係。

  我々の常識は今、崩壊の危機にある。
  そう、賢者トートが、『別世界の生き物』である事実によって。
  そして我々はそれこそ、『生きる罪』の真実ではないかと考えているのだ」