修士◆B1E4/CxiTwの物語



【現地からの報告】 [1]

―――――――アーシュの日記――――――――――

『道具屋 マイケルボーイ』で日記帳を購入し、今日で3日目。
未知の世界の中、書くネタは尽きそうにない。
今日は、ここまでの生活で導き出された、僕なりの考察を書こうと思う。

一つ目は、今は僕も普通に扱っている、この国の文字・言語だ。
結論として、洒落を含めた言葉の変換は、日本語特有の意味合いを残している。
例えば、ジークさんのあだ名「ジィさん」は、日本語の「爺さん」と掛けてある。

また、この国の文字には「Foodcoat ライルのお店」「Drinking ルセット」など、
僕の世界でも使われている、日英混合表現がある。
正確には、意味不明の文字列が日本語に、英語は英語として認識されるのだ。

現代日本で異言語、特に英語を含んだ表記を見て、
何となく想像がつくのと同じ感覚だ。
この国の言語を見るとき、僕の頭には自然と、日本語的なイメージが浮かぶ。

一方、文字を書くとき、僕は、この国の文字を使う。
現に今、僕は日本語でなく、こっちの言葉で日記を書いている。
特に違和感はない。これは、僕の日本語の知識が、
そのままこの言葉に変換されたと考えるのが、妥当ではないだろうか。
つまり、僕はこの国の言葉を習得したのではなく、言語が変化したということだ。

またこちらの言葉は、読み書きの時に適宜、頭の中で漢字に変換される。
これはまだちょっと、解明できない部分だ。
前述の例で言えば、この国の人が、「ジィさん」を「爺さん」と、表意文字で
認識しているのか、「じいさん」と音だけの認識なのか、よくわからない。


二つ目は、この世界の生活のことだ。
この世界は、僕の知識から見れば、古代〜中世の古代寄りの生活に思える。

主な移動手段は徒歩。馬・牛・アパヌフ・ウィブーなど、動物を使った移動は
公共機関のような位置付けだ。少なくともこの城壁内では。
いうなれば、自動車や自転車ではなく、電車やタクシーのような扱いか。
ただ、移動専用の馬などの乗り物を所有する、裕福な家庭もあるらしい。

人々の服装や一般・公共建築の様式も、古代〜中世くらいのものと考えられる。
町の中には至るところには、生活用水を兼ねた水路が巡っており、
ときには橋の下、ときには穴を通って地下を流れている。

あちらの世界の生活と根本から異なるものに、「魔法」の存在がある。
この世界の魔法は、長々と言葉を唱えて発動する、儀式的なものではなく、
心の中のイメージを主に、端的な言葉を唱えるというものらしい。

扱える人間は一般人では珍しく、専門的な修行が必要なようだ。
僕の世界における、技能・才能を磨く感覚と似ている。

しかし、現在の魔法が、過去より進歩しているとは言えないらしい。
それは、多少美化された先人たちの偉業のような扱いとは異なり、
本当に、今の方がよいとは考えられていないニュアンスを、漂わせている。

時間についても書いておく。
この世界にも60進法の時計はあるが、どうやら少し誤差があるようだ。
城壁内には一定時間を知らせる鐘楼が何箇所かあるのだが、
そこの詰め所に置かれている、国の支給品の時計は、
僕の携帯の時計と比較して、1日で15分くらい遅れていた。

誤差のことは一般にも認識されており、現在は、
誤差が最も少ない、城の中の時計が基準らしい。
結果、各所の鐘は、城の中から鳴らされる最初の鐘の音を頼りに、
伝播するように鳴らされるのが現状だとか。

そして、どうやって目指すべき正確な時刻を定めているのか不明だが、
より正確で誤差の少ない時計の開発が、日々行われているらしい。

また、この世界の1年は371日だそうで、1秒、1分、1時間、
1日、1週間、1ヶ月などの概念もあるらしい。

さらに、この世界には世界共通の暦がある。現在は、勇者暦215年だ。
勇者が世界を平和に導き、ピサロが魔界へ帰った年を零年としたらしい。


最後は、この世界における「世界」そのものに対する認識だ。
あまりに普通のことで違和感がなかったが、この世界では、
この世界は丸い球体という認識が一般に浸透している。

「星」の概念は明確には垣間見なかったが、僕の世界の地球儀に相当する世界儀は
置物道具として見せてもらったし、図書館の地理に関する本にも、
球体の世界を平面図に起こしたという、世界地図を見つけた。

世界儀の中には、僕の世界で言う「北極」「南極」が、それぞれ、
「北の端」「南の端」という言葉で書かれている。
この極点については、かつて存在しないとも言われていたが、
その昔、あるとき、急に見つかったらしい。


書くのも疲れる。あぁ、明日は何の仕事をしようか。

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