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◆u9VgpDS6fgの物語

サンタローズ[3]
『旦那様。おかえりなさいませ』
『サンチョ。随分と待たせてすまなかったな』
その大きな右手を男の肩に乗せると
男の両目からぽろぽろと雫が零れ落ちた。
『ええ、ええ。旦那様。
生きて戻られると信じてはおりましたが、
この日をどれほどに待ち侘びたことか・・・』

最後は殆ど言葉にならなかった。
深い皺の向こうに長い苦労と不安が垣間見えた気がして
俺は眉間が痛むのを感じて俯いた。


やっと部屋に落ち着いても
サンチョはひとしきり泣いて
ひとしきり喜びの言葉を口にしていた。
パパスはひとつひとつに頷いて、
苦労をかけたな、と一言だけ口にした。

子供として掛ける言葉が見つからず
ただそれを眺めていると
階上から小さな足音が聞こえた。気がした。

『おじさま、お帰りになられたのね!お帰りなさい』
階段の手すりから顔を覗かせて
綺麗なブロンドを両耳の上で括った少女が
弾けるように笑顔で階段を飛び降りた。
着地でぐらつき、照れたように頬を赤らめる。
姿を見なくても解った。ビアンカだ。

『サンチョ、この子は』
『あたしの娘だよ。パパス、久し振りだねえ』
大きな体を億劫そうに揺らしながら
パパスと同年輩の女がゆっくりと階段を下りて来て言う。
『おかみじゃないか、隣町の宿屋の。
じゃあこの子はビアンカちゃんか。いや、大きくなって』

少女とおかみを見比べるようにぱちぱちと目を瞬き
パパスが驚きの混じった笑顔を浮かべる。
『じゃあダンカンも来ているのか?』

問いかけにおかみは困り笑顔を浮かべ、
『それがあの人ったら、病気で臥せっちまってね。
ちょいとこっちまで薬を貰いに来たんだよ』
『折角なので寄っていただいたんですよ。
旦那様も私も、お世話になっておりますので』
いつの間にかすっかり涙を拭いて、サンチョが口を割る。

おかみが椅子につくと同時に、
隅でもじもじと足元を見ていたビアンカが俺の腕を小突いた。
『ねえ、上に行かない?大人の話って長くって』
こくんと頷くとビアンカは
じゃあ行きましょ、と俺の手を取った。

今の俺と変わりない小さな手。
その温かさになんだか俺は妙にほっとした。
なんとなく、ゲームの中でやっと
気を許せる相手を見つけた気がした。

思考が幼児化しているな、と気付く。
ビアンカ―この幼い少女を
同年代の相手と無意識に認識している。

感情移入もここまで来ると少し危うい気がして
俺はほんの少し気を引き締めた。

本棚とベッドだけの小さな二階の部屋に上がると
ビアンカは周りを見回して『ここって何もないのよね』と洩らした。
と、くるりと振り向き俺の両手を取って
『ね、あたしのこと覚えてる?
前にうんとちっちゃい頃、会ってるんだから。
でもあんたはもっとちっちゃいから、覚えてないかな』
にこにこと子供をあやすように語り掛ける。

曖昧に頷くとふん、と溜息をついて
『あたしはあんたよりふたつも、お姉さんなんだからね?』
と両手を腰に当て、
威張れる相手を見つけた幼子の
小さな威厳に満ちた瞳で俺の目を真っ直ぐ見下ろす。

『そうだ、ご本を読んであげるわ。お姉さんだもの』
綺麗に編み込まれたブロンドを揺らして
ビアンカは本棚に向き直った。
『どれがいいかな』と口元に指を当てる。

自分より僅かに身長の高い少女の隣について
俺は読めもしない本の中から適当に「これ」と指差した。
ビアンカの瞳が輝く。

『仕方ないわね。じゃあそれにしましょ』
大儀そうに分厚い本を抱えてベッドの上に開き置き
うつ伏せに寝転んでぽんぽん、と自分の隣を示す。

やはり高く感じるベッドによじ登ると、
俺は少女に倣って隣にうつ伏せた。
ビアンカは満足そうに頬づえを付いて足を揺らし
鮮やかな挿絵のページを繰っていく。

ビアンカが体を動かすたびに
ブロンドの一本一本がくすりと俺の頬を撫でる。
『そら・・・うーんと、そ、ら、に、・・・く、せし・・・難しいわ』
小さな額に皺を寄せてビアンカが整然と並んだ文字を追う。
あまりに一生懸命な少女の姿に
俺は思わず沸いてくる笑みを抑えた。

『ビアンカ、降りてらっしゃい!そろそろ戻りますよ』
押し黙って文字を追う最中
階下から聞こえた声にはっと顔を上げて、
『残念だわ、宿に帰らなきゃ。ご本はまた今度ね』
ほっとしたようにビアンカが笑う。

本を閉じ小さな手を俺の額に重ねて、
『また遊びに来るわ。あんたも字を覚えるといいのに』
もう一度にっこりと笑うと、
少女は本を抱えてベッドを降りていった。

本棚の隙間に分厚い本を押し込み
階下へと降りていくビアンカの背中を見送ってから
俺は体を起こした。
刹那、どすん、と大きな音がして
階下から大人たちの笑い声が響く。

『ごめんなさいね、この子ったらもう』
笑うおかみさんの声を聞きながら階下を覗き込むと
階段の真下、尻餅をついたままの体勢で
ビアンカがけらけらと笑っていた。
俺の視線に気付き
照れ臭そうに唇だけでやっちゃった、と言うと
ひょい、と身軽に立ち上がる。
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