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◆u9VgpDS6fgの物語

船[3]
にわかに船上が慌ただしくなった。
船長が部屋から出て
眩しそうに目を細めて
久し振りの陸地を見つめている。

足元にそっと立つと、
『ぼうや、そろそろ港に着くからお父さんを呼んでおいで』
さっきと変わりない優しい声色で俺に言った。
眼差しの奥に僅かに寂しさが浮かんでいるのを
俺は気付いたけれどそのまま船長の傍を離れた。

船の到着を告げると
パパスは感慨深げにひとつ頷いて
二年ぶりだな、とその蓄えた髭の向こうで呟いた。
大きな体を椅子から引き上げ
数少ない荷物の点検に入る。

『お前も忘れ物をするんじゃないぞ。
タンスの中も見ておいてくれ』
言われたとおりに引き出しを確認する。
その中にも薬草と、見覚えのない
小さな木の実の入った小袋があった。

首をかしげた俺に気付いて、
『体を強くする種だ。
それはお前にやるから、必要な時に使いなさい』
そう言い残すとパパスは
荷物袋を抱えて階段へ向かう。

慌てて後を追い外に出ると
あんなに小さかった陸地は
もうすぐそこまで迫っていた。

青空に映える鮮やかな緑色の草原と、その向こう
青々と連なる低い山の輪郭
でこぼこと陰を落とす岩肌までがはっきりと見て取れる。

やがて船はゆるやかに速度を落とし
すべるように船着場に近付き、ぴたりと動きを止めた。
船首から聞こえていた波を分ける音も止み
静かに自然の波に船体を踊らせている。

ほっとしたような、
一息つくような空気が船員の中から立ち込め、
それはパパスがタラップの方へ向かうと同時に
別れを惜しむ空気に取って代わった。

『パパスさん、元気でな』
『ぼうず、男だったらもう泣くんじゃねえぞ』
あちこちから船員の歓声のような声と
小さな拍手さえ聞こえてくる。

その瞳に笑みを湛えたまま、
パパスは船に向かって一礼した。

『船長、世話になったな』
『パパスさん、また乗ってくださいよ。
いつでも、待っていますんで』
『うむ。またいつか、世話になる時は頼む』

名残惜しげに談笑するパパスと船長の並んだ向こう側
タラップの下から、別の大きな声が聞こえた。

『船長、ルドマン様のお着きですよ』
なんだ?という表情で
パパスが船着場の方に視線を流す。
その体の隙間から首を伸ばすように下を覗き込むと
品の良い高価そうな衣服を纏った
恰幅の良い紳士が(これぞ紳士、って感じだ)
片手を挙げて船長に合図を送った。

『ルドマン様!お待たせしました!
・・・船の持ち主の方ですよ』

最後の台詞はパパスに向けて言い、頷くパパスの横
深々とお辞儀をした船長の頭の先から
大儀そうに紳士が顔を出す。

『この船に、乗り込むときが一番大変ですなあ』
人当たりの良い笑顔を顔いっぱいに浮かべて
紳士―ルドマンは失礼しますよ、と甲板に足を下ろした。
船員の表情に走る緊張感が
空気を伝って俺にも感じ取れた。

『久し振りの船旅ですわ。
胃がやられなきゃいいけどねえ。
船長、なるべく揺れないように頼むよ』

船長に向かって笑いかけるルドマンの後ろ
タラップの最後の一段を踏み越えられずに
父に助けを求めるようにひらひらと舞う小さな手を
ひょい、とパパスが抱えあげる。

『ちょっとお嬢さんには難しいようですな』
おやすいません、と振り向いたルドマンの前に、
上等なワンピースを身につけた少女が足を着いた。

青色の鮮やかな細い髪が
潮風になぞられてさらりと揺れる。

『すまんな。大丈夫かい』
問いかけにこくんと頷いて
少女は父の上着に顔をうずめた。

『あ、ありがとう・・・』

顔を上げないまま言ったその声は
俺の耳に辛うじて届く程度だったが
パパスはまた穏やかな、愛しそうな笑顔で少女に頷く。

『それでは、私たちはこれで』
小さく片手を挙げて
パパスは大きな足でタラップへと踏み出した。
船員の別れの挨拶が
あちこちから重なり合って船着場にこだまする。

動かすのがもどかしい小さな体を
やっとの思いでタラップの上に下ろし、
振り向かずに真っ直ぐ進むパパスの背中を追う。

最後にそっと振り返ると、動き出す船の上で
不安げに顔を上げた少女のふたつの瞳が
真っ直ぐにこちらを見ていた。
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