◆DQ6If4sUjgの物語



第一話 俺・イン・ワンダーランド

「はー、疲れた」

夜23時。やっと一日の激務から解放された俺は、財布からおもむろに鍵を取り出し、
今日も健気に我が家を守ってくれていたドアノブちゃんの穴へと挿入した。
いやーんご主人様、そこはだめでございますううう。へっへっへここか、ここがええのんか。
…何やってるんだろう俺。

ご近所さんの迷惑にならないようにドアを静かに閉める。まったくアパート暮らしも楽じゃない。
羽振りの良い大手会社に就職してあわよくば可愛い奥さんもらって一戸建てを買いたいところだが、
時代は不景気の真っ最中の上に就職氷河期。
今年の就活生は半分くらいしか就職できていないって話だ。しかも来年にはもっと厳しくなると専らの噂。
来年度から就活が始まる予定の俺は今から既にお先真っ暗だ。バイトやサークル活動に励んでいれば就職なんて楽勝!な時代は終わってしまったらしい。
平凡な大学生である俺が大手に就職するなんて、夢のまた夢。
そもそも奥さんどころか彼女ができるかすら危ういしな!あっはっは!……はぁ。

「うーっす、ただいまー」

スニーカーを脱ぎながらそう告げたが、返事はない。どうやらまだ帰ってきていないようだ。
部屋の電気を点けてカレンダーで今日の日付を見ると、「太一→バイト 勇→バイト」と書かれていた。そうだ、あいつもバイトの日だったっけ。

俺こと太一は大学一年の弟、勇と二人暮らしをしている。俺は大学二年だから、年子ってやつだ。
親から仕送りはしてもらっているがこんな時代だ。
すべてをまかなえるほどの金額が望めるはずもなく、俺たち兄弟はコンビニや飲食店のバイトで生活費を稼いでいる。
中には仕送りすらしてもらえず奨学金とバイトの合わせ技で何とかしている奴もいるのだから、俺たちはまだ恵まれている方だと言えよう。
夕食はどうしようかと思ったが、確か弟のアルバイト先は賄いが出たはずだ。俺一人分だけ用意すればいいだろう。
疲れていたのでその日はカップ麺で済ませ、シャワーを浴び歯磨きをしてさっさと寝た。
明後日提出のレポートがあったことに布団に入ってから気づいたが、
一度寝る態勢に入ってしまってはもう動く気にはなれなかった。
幸い明日は休みだ。ゆっくり寝て、それから片づけるとしよう……ぐう。







「グガオーンッ!」

翌日、俺はとんでもないいびきによって叩き起こされた。
グガオーンって何だよグガオーンって。まるで大地を揺るがすような凄まじい音だ。
勇の奴、いつからこんないびきをかくようになったんだ?
歯ぎしりはすれど、いびきはあまりかかない奴だったと思うんだが。
そういえば本当かどうか知らないが、普段からいびきをかかない奴でも
ひどく疲れているといびきをかいてしまうことがあると聞いたことがある。
バイトがよほど忙しかったんだろうか。となればしかたがない、寝かせてやるか。
なーに兄としては当然さ。弟のいびきのひとつやふたつ、我慢することなど造作もない。
俺マジイケメンじゃね?これモテ期来ちゃうんじゃね?
ひとつ寝返りをうち、いびきに背中を向けて俺は頭から布団を被った。
これであの轟音も少しは軽減され――――

「ねーよ…」

何だか目も冴えてきてしまった。こうなればもう起きるしかない。
あーあ、今日は心ゆくまで寝てたかったのになぁ。しょうがね、さっさと起きて飯食って、レポート片づけるか。
俺は暖かな布団から名残惜しくも身を起こし、大きなあくびをして両手を挙げて体を伸ばした。
あくびによって出てきた涙を拭い、布団から出ようと足を出す。
が、しかし。

「ぐふっ!?」

次の瞬間、何故か俺は床に落ちていた。まともに打ち付けてしまったせいで地味に胸が苦しい。
顔もめちゃくちゃ痛い。これ鼻絶対取れた。これ絶対鼻取れたぞおい。
布団から出ようとしたら落ちるとかいったいどうなってんだ、布団が宙に浮いてんのか!?いったいどこのイリュージョンだよ!

待てよ。
確か勇の奴、奇術研究サークルに友達がいるって言ってたな。
とするとこれはあいつの仕組んだ壮大なイタズラか。
あの野郎、兄の優しさを無下にしやがって。今すぐその不快ないびきを息の根ごと止めてやる!

俺は痛みも忘れてがばっと起き上がり、未だ地獄のコーラスを奏でる兄不孝者の弟をびしりと指差し、
堪忍袋の緒が切れたと言わんばかりに怒鳴りつけた。

「勇!てめえ手の込んだイタズラしやがっ、て…?」
「どわっ!?」

しかし俺の怒りの声は尻すぼみになってしまった。
何故ならば、目の前に眠っていたのは上半身裸、身につけている物と言えばブーメランパンツと
いかついマスクを被った筋肉ムキムキの兄ちゃんだったからである。
しかも枕を足蹴にしている。寝相が最悪なのか枕を足に敷いて寝る習慣があるのか、一体どちらなのかは俺には図れない。

兄ちゃんは俺の怒鳴り声に驚き飛び起きたが、きょろきょろと辺りを見回した後
「あちゃーっ、また反対だぜ」とだけ言うとまた眠ってしまった。
ほどなく、グガオーンッ!というあの凄まじいいびきがまた鳴り始めた。
どうやら寝相が悪いだけらしいが、直す気もないらしい。というか俺、シカトされた?

そこで今更、俺は気づいた。ここは俺たち兄弟の部屋ではなかった。
目の前にはベッドが三つ並んでおり、壁際のベッドにはマスクの兄ちゃんが気持ちよくお眠りになられている。
その隣は……恐らく俺がさっきまで惰眠を貪っていたベッドだろう。
なるほど、敷き布団だと思っていたのがベッドだったのだから、布団だと思って出ればそりゃ床に落ちるわけだ。
三つ目のベッドは空だった。シーツもかけ布団もぴんと張られている。ベッドメイクは完璧だ。

向こうには、丸いテーブルと木製の椅子が二つ。
更には壁に掛けられている絵のようなものを思案顔で眺めている外国人のおっさんが一人。
恐らく三つ目のベッドはこの人が使う予定なのだろう。

部屋は基本的に木造であり、ベッドがあるエリア以外には絨毯が敷かれていた。
更に奥にはカウンターらしきものが見えることから、どうやらここはホテルらしかった。
一年の夏休みに、サークルのみんなと行ったキャンプで泊まったログハウスみたいだ。カウンターはなかったけど。
ああ、あの時にもっと積極的になれてたら、今頃あの子と付き合えてたのかな……。
いやそんなことはどうでもいい。いやどうでもよくないけど、今は俺のほろ苦い失恋なんて関係ないんだ。
確認のためにもう一度言うぞ。ここは俺たち兄弟の部屋じゃない!

なんで俺はこんなところにいるんだ。俺は必死で考え始める。
昨日はしっかり自分の部屋で寝たはずだ。
大学の授業を終えてバイトをこなし、空きっ腹を抱えながらも安アパートの我が家に帰った。
酒は一滴も飲まなかったから、酔っぱらってそのままどこかのホテルに入ったということはありえない。
となると、誘拐か?そういえば昨日帰ってきてから鍵を閉めるのを忘れていた。
そこを俺を狙う犯人に侵入されてそのまま……それもないなとかぶりを振る。
誘拐が目的ならば、こんな人の目につきやすいホテルに連れてくるはずがない。

(とにかく情報だ、情報を集めよう)

そこにいるおっさんから、ここがどこかくらいは聞けるはずだ。しかし何人だろうこの人。
英語が通じるといいんだが。ま、いざとなれば身振り手振りでどうにかなるだろう。

「えっと…エクスキューズミー?」

あまり得意ではない英語で意を決して話しかけたが、おっさんの反応はなかった。
聞こえなかったかと思い少し大きめの声で話しかけてみたが結果は同じ。
おかしいな、と俺は首を捻る。もしや耳が遠いんだろうか。
それにしては補聴器も何もつけてないようだが…しかたない。

「エ・ク・ス・キュー・ズ・ミー!!?」
「ん?……空耳かな」
「ファアアアアアアァァァット!!!??」
「おや、また。おかしいな…?」

腹に力を込めて精一杯の声で叫ぶと、なんとこんな答えが返ってきた。
日本語話せるのかよ!っていうか聞こえたのに空耳ってどういうことだよ!
さっきのマスクの兄ちゃんに続いてシカト?シカトですか?俺泣いちゃうよ?
ええいこうなりゃ実力行使だ、さすがに肩を掴んで振り向かせれば俺に構うほかなくなるまい。
違うよ寂しいんじゃないよ。あくまで情報収集のためだよ本当だよ。

そうと決まればとさっそく手を伸ばしたが、おっさんに触れる数cm手前で俺は動きを止めた。

「なんだよ、これ……」

指が、手が、腕が、透けている。腕越しに格子模様の青緑色の絨毯が見える。
腕だけじゃない。足も、胸も、腹も、……恐らく顔も。

――――俺のすべてが透けていた。


(俺、夢見てるのか?)

こんなはっきりした夢があっていいのかよ。たちが悪い。
陳腐だと思いつつも俺はそっと自分の頬に手をやり、思いっきりつねった。
痛い。夢じゃない。しかも体温があることから、恐らく死んだというわけではなさそうだった。
それだけが救いだ。

「うーむ、どうしたものかな……」

おっさんが額縁に飾られた絵を眺めながらぽつりとつぶやく。
俺もおっさんにつられて、額縁の絵を見上げた。

俺は愕然とした。
それは正確に言うならば確かに絵だったが、ただの絵ではなかった。
地図だ。日本も、アメリカも、ロシアも、オーストラリアも無い世界地図だ。

どこだよ、ここ。

(何が"それだけが救いだ"、だ)

俺は理解した。
漫画やゲームでよくあるパターンだ。俺は異世界に来てしまったのだ。
しかもこれまた漫画やゲームによくある、中世ヨーロッパのような雰囲気を漂わせる世界に。

(いったいどうしたら)

俺は思い出した。
昔やった異世界物のゲームでは、主人公は魔王を倒して元の世界に帰っていった。
もしそれがこの世界にも通用するならば、

「魔王ムドーさえいなければ世界を回って商売できるんだがなぁ…」

おっさんがぼやいた。
ああ、やはり。この世界にも魔王はいるのだ。しかも人々を苦しめている。
魔王がいるということは、恐らく魔物と呼ばれるような化け物もうじゃうじゃいるのだろう。

(全部、俺が倒すのか?)

俺は絶望した。
武道の類もやったことがない俺が?運動神経も人並みしかない俺が?
そんなこと、できるわけがない。


「助けてくれ、誰か……父さん、母さん――――勇」


俺は膝から崩れ落ちた。




タイチ
レベル:1
HP:20/20
MP:0
装備:ぬののふく

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