◆IFDQ/RcGKIの物語



Stage.9 仮免勇者と彷徨勇者

----------------- GAME SIDE -----------------

 トントン、とボールが弾むような音がした。ヘニョだ。相変わらずの笑顔だけど、少し手前で留まってモジモジしている。気にしてるのかな。
 おいで、と手を差し出すとピョンと飛びついてきた。
「ごめんごめん。君が悪いんじゃないよ」
 スライムも生きているんだから、100%「かわいい」だけで済むはずがない。勝手な理想を押しつけようとした僕が悪いんだよね。
 リアル……か。
「そう言えば、ロダムは神父さんだったの?」
 さっき気になったことをそれとなく聞いてみる。ロダムは少し口ごもった。
「そうなんですがね……いや、お恥ずかしい話なんですが」
 頭をかく彼に、僕は首をひねった。「神父」と「僧侶」の違いもよくわからない僕には、なにが「お恥ずかしい」んだかも理解できない。
 ロダムもそれに気づいたのか、「異世界の方なんでしたね……」と苦笑した。
「簡単に言うと、神父は殺生できないから、僧侶になったということですな」
 神父はあくまで「救う」職業であって、たとえ魔物でも無闇に命を奪うわけにいかない。だが世界規模で魔物被害が拡大している昨今、彼らの強力な退魔能力を正当に利用するために、殺生を許された特別な聖職が設けられた。
 それが「僧侶」。だが名目上はどうあれ、殺すために聖職に就くという矛盾は埋めようがなく、特に神父からの転職は「宗旨替え」と中傷を受けることも多かったという。
「最近は理解されてますがね。現実問題、きれいごとで魔物は払えませんしなぁ」
「ロダムはどうして……やっぱり、街が魔物に襲われたから、とかで?」
「よくある話ですよ。妹一家が犠牲になりまして」
 ロダムはただ穏やかに、月明かりに煌めく夜の海を見つめている。
「本来は神父の修行をする『宮廷司祭』も返上するべきなんですが、国王様が認めてくださいましてね。ありがたいことですよ」
 旅が終わったあとは、たとえどんなに殺生を犯してもまた神父に戻っていいってことだそうだ。こんな特別待遇を設けてるのは、世界中でもアリアハンだけなんだって。
「へぇ、あの王様もけっこういいとこあるじゃん」
 優秀な人材が勇者にスカウトされないよう、ルイーダに手を回したりしてたけど。それ
だけ「人」の力を大事にしてるってことなのかもしれないな。
 本当に複雑だ。「現実」と同じように。
 この世界もまた、様々な人間模様があって、そこに悲哀があって、歓喜があって、みんな一生懸命に生きている。とてもこれが「ゲーム」だなんて思えない。
 いや、ゲームだからなんだっていうんだ? そんなのは、僕の住む世界から見たときの勝手な枠組みでしかない。ここにはここの、確かな「リアル」がある。
 でも……それでも、彼には耐えられなかったんだろうか。
 すべて投げ出してもかまわないくらい、「ゲーム」という事実が嫌だったんだろうか。
 アルスは捨ててしまった。勇者であることも、家族や恋人や、仲間も、なにもかも。
 そんなこと、アルスを信じ切っているみんなにはとても言えなくて、僕は彼の行き先も、彼と連絡が取れることも隠している。魔王を倒せば戻ってくる、なんて嘘をついている。
 本当は、ちょっと、苦しい。
「――勇者様?」
「あ、はい! ……え、どうしたの?」
 つい考え込んでしまった僕は、ロダムがなんだか険しい顔をしているのに驚いた。
「大変なことを忘れていましたよ。職業の話で思い出したのですが、勇者様はまだ本試験に受かっていらっしゃいませんよね?」
「ホンシケン? なにそれ」
「まずい、もう日にちがありませんぞ」
 ロダムは急に僕を船内に引っ張っていった。ヘニョもピョンピョンあとをついてくる。僕らに割り当てられた船室に戻るなり、そこにいたエリスやサミエルも交えて、いきなり作戦タイムに突入。
 なんと僕、まだ「勇者」の仮免中なんだって。
 ……仮免?

   ◇

「そうですよ、忘れてました! アルス様、本試験の前にいなくなられましたから」
 エリスも口に手を当てて「参ったな」って顔をしている。
「よくわかんないんだけど……僕はまだ正式な勇者じゃないってこと?」
「勇者様は、『勇者』というものについてご存じですか」
 逆に問い返されて、僕はふるふる首を振った。
 ダーマで転職できないから「勇者」が職業だっていうのはわかるんだけど、勇者は勇者だってなんとなく思ってたし。
「勇者というのは通称なんです。正式には『世界退魔機構認定特別職一級討伐士』というんですよ」
 そ、そりゃまたご大層な。
 世界退魔機構とは、ほぼ世界中の国や街が加盟している、モンスター被害の対策機構だ。
 ダーマ神殿で認定される「戦士」や「魔法使い」などの一般の冒険職とは別に、この退魔機構が認定しているのが特別職であり、冒険において格別の特典が与えられる。
 その特典というのが――

 ・加盟国、または加盟店のアイテムを安く提供してもらえる。
 ・ほぼ売買を拒否されない。
 ・アイテムの買取価格が、商品的価値の有無に関わらず売値の4分の3。
 ・宿屋に何時でもチェックイン可能。また宿泊拒否されない。
 ・真夜中でも教会の利用が可能。
 ・親族への生活補助金を、所属国家に支払うよう促す(強制ではない)。
 ――などなど。

 言われてみれば納得できる。普通は使い古しのステテコパンツなんて絶対に買い取るわけないもんな。
 武器や防具なんかも、本当は僕たちが買ってた値段の一・二倍〜一・五倍はするんだとか。
 それだけの特典があるので、当然のように特別職に就くための道は険しい。
 ただし、基本的にこの世界における「職業」はすべて「やる気のある初心者を支援するため」の制度であり、特別職においても試験で実務経験を問われることはない。「レベル1」の勇者が存在するのもそのためだ。
 でも怠けられても困るから、取得後3ヶ月間は仮免で、その後の本試験を経て正式に認められる。さらに一年ごとに更新試験があり、資格を維持する方が大変なんだって。
「その本試験ってどんなの? 正直、実技だったらキツイよ僕」
 ペーパーだったら自信あるんだけどなぁ。
「一級討伐士の場合、本試験も更新試験も内容は一緒でして、期限までに次の3つの条件の内、いずれかをクリアしていればいいんですが……」

 (1)なにか大きな人助けをする。
 (2)魔物から街や村、教会など慈善組織(海賊等は含まれない)を護る、救う。
 (3)世界退魔機構が指定する試練をクリアする。

 サミエルがぽんとひざを叩いた。
「なーんだ、それなら今までの旅の中で、どれか当てはまりそうじゃないッスか?」
「そうですね、それを退魔機構に申請すればいいんですよね」
 エリスもほっと胸を押さえている。が、ロダムはまだ難しい顔をしたままだ。
「無理でしょうなぁ。たとえば大きな人助け、なにかしましたか?」
「金の冠を取り返したじゃないッスか」
「……では、ロマリア国王がそれを認めますか? 対象者が認めない限り、審査を通りませんよ」
 申請内容の真偽を確認されるのは当然として。なるほど、冠を盗まれるなんて失態、あのロマリア国王が公に認めるわけないよな。魔法の鍵についても同じく。
「バハラタでも、カンダタ一党をこらしめましたが……」
 そう言うエリスも自信なさげだ。答えは聞くまでもない。
「あくまで『人さらいらしい』という噂の範囲で、実害が出ていたわけではありませんからね。私たちが向かったのも、勇者様がさらわれたためですし」
 そうそう、変にストーリー狂ったんだよね。思い出したくもない……あの変態オヤジには二度と会いたくないよ。
 あ、誤解がないように言っておきますが、宿スレ的にヤバイことはされてませんよ。
「となると3番だけか。『世界退魔機構が指定する試練』って、たとえば?」
「そうですな、今の勇者様でもこなせそうなものとなると……」
 ロダムはしばらくうなっていたが、ようやく言葉を絞り出した。
「……ランシール、でしょうな」
 ガターン! と椅子ごとひっくり返る僕。全員が驚いた顔で僕を見ている。
「ど、どうなされたんですか勇者様!?」
 みんなが助け起こそうとしてくれてるんだけど、さすがに身体に力が入らない。
 じょ、冗談じゃないよ。ポルトガからすぐエジンベアに直行したいからこそ、あれだけ根回ししたのに! 消え去り草を売っているランシールに先に行くんだったら、同じことじゃないか。なんなんだよソレ。
(軌道修正されてるのか……?)
 ロマリアからピラミッド行きを強制されたときにも感じたことだけど。
 確かに、勇者職の話も試験の話もおかしいとは思わない。でもなんでそれが「今」なんだ? まるでなにか見えない力が、ドラクエ3のストーリーに無理やり当てはめようとして、圧力をかけてるように思える。
 それに、考えてみればアルスもアルスだ。こんな大切なことは先に教えておいてくれてもいいじゃないか。あの夜……ピラミッドで、少しは見直したのに。
「ごめん。ちょっと甲板に出てくる」
「こんな時間にですか?」
「頼むから人を来させないで。しばらく1人にして欲しい」
 言い捨てて、僕は部屋を飛び出した。ついてこようとしたヘニョをどうするか一瞬迷ったけど、立ち止まった途端に飛びついてきたスライムを抱きしめて、また小走りに甲板に向かう。
 そろそろハッキリ言ってやらなきゃダメだ。あの人は僕をクリアさせたくないみたいだけど、それがどういうことなのかわかってないのか?
 故郷に戻れなくなる。そのつらさは、ゾーマを倒したあとに嫌なほど味わってるだろうに、なんで自分から帰り道を閉ざそうとするんだ。
 プルルルルルル! プルルルルルル! ……ッピ
「もしもし、アルス? 楽しんでるところ悪いけど、大事な話があるんだ。ちょっと長くなると思うんだけど、ユリコたちから離れられる?」

『……………………タツミなの?』

 頭の中が、真っ白になった。
 片岡百合子。どうして。
『タツミ? アルスってこの子の名前? ねえ、あんたいったいドコにいるのよ!』
 叫ぶようなユリコの声を、僕はただ呆然と聞いているしか、できなかった。



----------------- Memories of Ars -----------------


「聞いてください、アルス様! 私、とうとう『魔法使い』になりました!」
「あ、そう。……で?」
 嬉々として報告に来たエリスを、俺はいつものように冷たくあしらって、読みかけの呪文書に目を落とした。街から少し離れた草原の木陰で、誰にも邪魔されないよう独りで勉強するのが俺の日課だったが、この女はしょっちゅう訪ねてくる。うるさくて仕方ない。
「今、ルイーダさんのところにも予約してきたんです。アルス様の旅立ちの時までには、もっともっとレベルを上げますから、絶対に指名してくださいね!」
「まだ先の話だろうが……。まあ、気が向いたらな」
 確かに、一二歳で正式な冒険職ライセンスを取得するやつなど、年に何人もいないが。俺から言わせれば、その前に三回も試験に落ちてる時点でアウトだ。ちゃんと計画を立てて一発で受かる方がよっぽど賢い。そこらの冒険者と勇者は違う。多くの人命がかかる旅で「失敗」は許されないのだから。
 俺が黙っていると、エリスは肩を落とした。見るからに落胆している。ったく、面倒くさいやつだ。
「今晩、お前の部屋の窓を開けておけ」
「え?」
「いいな。邪魔だからもう行ってくれ」
「あ、はい」
 シッシッと追い払う。エリスは何度も振り返りながら街へと戻っていった。

 その夜、俺はエリスの生家である宿屋に向かった。二階の彼女の部屋を見上げる。言いつけ通り開けてあった窓に、その場で小石を拾って放り込んだ。
 エリスは待機していたようで、すぐに顔を出した。
「アルス様♪」
「静かにしろ。こっそり降りてこい」
 彼女をつれて、城に向かう。
「あのどちらに……?」
 不安そうなエリスを、口に人差し指を立てて黙らせる。城の裏門に回ると、夜番のサミエルが俺の顔を見てニカッと笑った。こいつは親父の信者で、他の奴らと違って俺にも悪い態度は取らない。事情を話し、中庭に通してもらう。
 庭の中心に、ジパングから運ばれてきた「桜」という大きな木があった。
 天頂から照らす月明かりに、満開の桜は薄桃色にぼんやりと輝いている。はらはらと散る花びらは妖精が戯れているようで、幻想的な情景に、エリスは言葉も出ない様子だ。
「合格祝いだ。きれいだろ」
 が、ふと見るとエリスは両手で顔を覆ってしまっている。
「おい、どうした?」
「アルス様……。私、アルス様みたいに頭も良くないし、剣技も武術も全然ダメです」
 肩を小刻みに震わせて、絞り出すように言う。
「お役に立ちたくて……でも本当は……ヒック……ちっとも自信なくて……ヒック……」
「な、泣くことないだろ。そんなの最初からわかってる。ってか、俺と比べようってのがおこがましいぞ。そうだろ?」
 困っている俺に、彼女は必死に嗚咽を飲み込んで、そして泣き笑いを浮かべた。
「その通りですね。ごめんなさい、やっぱり私バカですね」
「エリス……」
 彼女の部屋はいつも遅くまで明かりがついている。試験の前にはほとんど寝てなくて、根を詰めすぎて倒れたのも1回や2回じゃないらしい。暇があれば城の書庫や宮廷魔術師のもとに通い詰め、呪文学の成績はダントツでトップだ。
 それがすべて俺のためだと、彼女は真っ直ぐに答える。どんなに俺が邪険にしても。
 たまらなくなって、抱きしめた。
 本当はずっと前から、俺も彼女のことが好きだった。なにせひねくれたガキだったから、この時まで認めようとしなかったけれど。「もしエリスまで他の連中みたいに裏切ったら」と、怖かったのかもしれない。
 大好きだ。あの時から――そして今でも。

 でも。
 そんな想い出も、彼女も……すべて作りもの、なんだよな?
 俺自身も、おふくろも親父も、あそこに暮らす人々の誰もが、あの世界のなにもかもが、ただのゲームでしかなくて。
 俺と仲間たちが命懸けで魔王と戦ったことも、その魔王でさえも、誰かが作り出した虚構の物語でしかなくて。
 そして……だからこそ、あの世界には決定的なものが欠けている。
 決して救われない。どんなにあがいたところでどうしようもない。
 世界を救うはずの俺だけが、まるで救いがないことを知っている。
 ――なにも知らなければ良かった。
 なにも知らないまま、ゲームの中におとなしく収まっていたなら、俺はただのキャラクターとして戦っていられたのに。
 課せられた使命の重さに悩むことはあっても、まさか、今まで信じていたものすべての価値を見失うなんてことは、なかっただろうに。
 どうして俺は、タツミのことを知ってしまったんだろう。
 どうして俺は、現実への境界を越えてしまったんだろう。
 ただ一人、知ってはならない世界の秘密を知ってしまった勇者は、どこへ行けばいい……? 



----------------- REAL SIDE Yuriko -----------------


(うなされてる……?)
 嫌な夢でも見ているのだろうか。片岡百合子は、眠り込んでいる少年の髪にそっと手を置いた。
「あの……大丈夫だよ、ここは安全だから。安心して、ね?」
 そう語りかけると、少し表情が和らいだ気がした。
 三津原辰巳によれば、彼こそが家庭用ゲーム界きっての有名RPG「ドラゴンクエスト3」の主人公だということだ。夢みたいな話だが、入れ替わった本人がそう言うのだから、信じるしかない。
 それに、確かにあの戦いの跡は尋常なものではなかった。途中で折れていた鉄杭……なにか刃物で押し切られたようだったが、並の人間同士なら、ああはならない。互いにもの凄い力をぶつけ合った結果だ。
(でも、見た感じは普通よねぇ……)
 治療にあたっていた掛かりつけの医師は、特に不審に思っている様子はなかった。ケガも深い傷はないということでホッとしたが、なかなか目を覚まさないのは心配だ。
「過労のようですね、しばらく安静にしていれば、じき意識も戻るでしょう」
 医師はそう言っていたが、もう5時間は経過している。
(まあ、異世界に来て生活するって大変だよね。よっぽど疲れてたのかな……)
 少年が持っていた時代遅れの携帯電話を見つめ、ユリコは何度目かのため息をついた。

『それで、アルスの様子はどうなの!? ちょっとヘニョおとなしくして、今大事な話をしてるんだから! え? ああ、ヘニョってスライムの名前なんだけどね』
 スライムって……。自分でなければ、絶対にふざけていると思うだろう。昔から変わったヤツだと思っていたが、異世界で勇者やってます、というのはどうなのだ。
(しかも、戸惑ってるあたしのことなんかそっちのけで、この子の心配してるし……)
 よほど相方(?)が心配なのか、電話も5分置きにかけてくる始末。いい加減しつこいので抗議すると、時差がどうのと言っていた。なんのことやら。「寝ている本人にも障りが出るから、目が覚めたらこちらからかけ直す」と説得して、ようやく静かになった。
 毎度のように思っていることだが、惚れる相手を間違えたかもしれない。
「う…ん……」
 それにしても、よく眠っている。
 こちらも見事に騙してくれたものだ。ロクに知らない相手と「友人」として花見について来るその大胆さに、ユリコは逆に怒る気になれなかった。騙された方が悪いというか。
 もっとも、目の前にそっくりの人間がいて、そいつも本人の名を名乗っていれば、多少様子がおかしいからといって「別人が成り代わっている」とは疑わない。だからこそ眠っているこの少年も、タツミ本人も、そう簡単にはバレないと気楽に構えていたのだろう。
(そんな電波な発想をしろって方が無理よね)
 違うのはせいぜい瞳の色くらいか。実は少し青みがかって見えた。それも光の角度によるのか、通常は普通の黒にしか見えない。起きたらもう一度確かめてみよう。
(だいたい、こんな顔がゴロゴロいてたまるかっての。男の子のくせにさぁ)
 この少年もさすが有名ゲームの主人公なだけあって――
(いいなぁ……まつげ長いし。肌とかすっごくキレイだし)
 頬をおそるおそるなぜてみる。
(やーん、やっぱりツルツルだぁ。洗顔料なに使ってんの? ちょっと悔しいかも)
 フニっとつまんでみる。
(向こうの子って、みんなこんなのかなぁ。そりゃこっちの「理想」を形にした世界なんだから、当然だろうけどぉ)
 フニフニ……。
(かわいい女のコも多いのかな。あいつも勇者なんてご身分ならモテるだろうし……)
 フニフニフニフニ……。
(そういえば、ぱふぱふとかあったじゃない! 3はギャグだったっけ? でもなぁ)
「あお〜、あいやっへんほ?」
「キャアアア!」
 ――あ、起きた。

「えーと、アルス君、だっけ?」
 身を起こした彼は、今の一言で状況を察したらしい。
「もうタツミに聞いてるんだな。……アルセッド=D=ランバートだ。騙してすまない」
「あ、いえ」
 アルセッドというのが本名なのか。さすが勇者は名前もカッコイイのね。
(って、そうじゃないでしょ。反射的に許しちゃってるし)
 セルフツッコミを入れているユリコに、少年はふと首をかしげた。
「ここずいぶん広いけど、あんたの部屋か? それにその服……他と違うね」
 幾重にも合わせた襟元や、華やかな金糸の帯を、珍しげに見ている。
「やっ、変でしょう? 今時、普段着が着物とかあり得ないよねっ」
「キモノ?」
 さらに首をかしげるランバート少年。そうか、そもそも「着物」を知らないか。
「日本の民族衣装っていうか、昔の正装っていうか、そんな感じ……かな」
 異世界の勇者だとか言われると、どうにも気持ちが焦ってしまう。どこかユーロ諸国の王子様がお忍びで日本旅行に来ていた、とかの方がまだピンと来るのだが。
(ってどこの厨設定よ。まあでも、要はそんなもんよね)
「そ、それはともかく。キミ、やっぱり呪文とか使えるの? メラとか?」
 まずは気を楽にしてもらおうと、ひとまず笑顔で会話を続けてみる。
 が、少年は「はぁ?」と呆れたような声を出した。
「ここは現実だろ。呪文なんか使えるワケないじゃん、常識で考えて」
 ――意外とリアリストらしい。
 言葉に詰まってしまったユリコを、少年はなんだか不審そうに見ている。
「なあ……あいつ、俺のこと、あんたになんて言ったんだ?」
「え?」
 入れ替わることになった経緯だよ、と彼は視線をそらす。ユリコも気まずくなった。
「それは……なんかタツミが無理に頼んだんだってね。すっかり迷惑かけちゃって。あいつも悪気は無かったと思うんだ、許してあげて?」
 手を合わせるユリコに、少年はきょとんとしている。そして盛大にため息をついた。
「ったく、お人好しもほどほどにしろよな……」
 なんのことだろう? ユリコが聞こうとした、その時だ。
 廊下をドスドスと乱暴に踏み鳴らし、誰かが近づいてくる。バンと大きな音を立てて、障子が左右に開けられた。
 古風な衣装をまとった初老の男が立っていた。ギロリと二人を睨みつける。
「お、お父さん……!」
 ユリコが慌てて間に立ちふさがったが、その彼女を乱暴に突き飛ばし、父親はズカズカ少年の元まで近づいていくと、
 パーン!
 問答無用で横っ面をひっぱたいた。
「娘には二度と近づくなと、忠告したはずだがね。危険な目に遭わせおって……どう責任を取るつもりかね」
「いきなりなにするのよ! だいたい人違い……あ、いや、そうじゃないけど」
 なるべく彼の正体をバラさないでくれ、とタツミに頼まれている手前、別人だとも言えない。どうしたものか。
 少年はあまりのことに呆然としている様子だった。が、なにか得心したのか、
「なるほどねぇ……」
 小さくうなずくと、いきなり妙なことを父親に尋ねた。
「すみませんね。ところで、お父さんもなにか武芸を嗜(タシナ)んでおられます?」
 ぽかんとしているユリコのとなりで、父親はひたいに血管を浮き上がらせている。
「君にお父さんなどと呼ばれる筋合いはないがね。剣なら多少の心得はあるが、それがどうかしたのか」
「へぇ……。あそこに飾ってあるカタナ、レプリカじゃなさそうですね」
 そう言いつつ立ち上がると、思ったよりしっかりした足取りで床の間に歩いていく。飾られていた日本刀を手に取ると、少年は片腕で簡単に持ち上げてしまった。
 本物の日本刀はかなりの重量がある。父親の顔つきが変わった。
 そして――
「試合、してみませんか。お父さん?」
 その瞳が、一瞬だけサファイア・ブルーに煌めく。まるでとっておきのイタズラを思いついた子供のような笑顔だった。