◆IFDQ/RcGKIの物語



Stage.9.5 Border Breakers

----------------- REAL SIDE ANOTHER -----------------


 ――彼は「勇者」となるべく育てられた。
 勇者は常に、慈愛に満ちた存在でなければならない。特定の人間に愛を傾けず、世の中のすべての人間を平等に慈しみ、他人を助け、他人を優先し、他人の非を許せる優しさを持たねばならない。
 また勇者は、憎悪や嫉妬などの醜い感情を持ってはならない。他人を憎んだり、ねたんだりするのは「悪」であり、そのような感情はみずから速やかに排除し、自省できる人間でなければならない。
 また勇者は、清廉潔白でなければならない。俗人と同じ劣情を持たず、他者の感情に左右されず、泰然としていなくてはならない。
 また勇者は、他者に弱さを見せてはならない。常に平静な状態を保ち、どのような問題にも完全に対処できなければならない。
 また勇者は――。勇者は――。勇者は――。

 世は文字通りの暗黒時代。
 竜王の魔力によって陽の光は厚い雲に遮られ、真昼でも夜のように暗い日々が続いた。人々は魔物に怯え、寒さに震え、飢えに苦しみ、ただじりじりと滅亡の道へと追い込まれていくだけだった。
 英雄が必要だった。絶望の淵に追い込まれた人間たちが、最後の心の希望としてすがりつくための存在が必要だった。
 ゆえに、本来は結果論であるはずの「勇者」をゼロから作り上げるという行為が、どれほど不自然なことなのかも、誰一人気づくことはなかった。
 伝説の再来から、救世の終わりに至るまでの間……誰一人として。

   ◇
 
 腹に突き刺した鉄杭を、さらに正確に蹴りつけてきた相手の格闘センスに、アレフィスタ=レオールドは内心で舌を巻いた。ただのガキだと思ったが、なかなかどうしてやるじゃないか。さすが伝説の英雄、そうでなければ倒し甲斐がない。
「なあ、本当に大丈夫なのかよ、アレフ。くそ、あの野郎なんなんだよ」
 傍らで不安そうにしている少年は、さっきから同じことを繰り返している。
「わけわかんねえよ。なんでいきなし強くなんだよ。タツミの野郎、運動しんけーとかそんな悪くなかったけどよ、あんなんじゃねえよ。なんなんだよ」
「少し黙れ」
 いい加減うっとうしくなり、アレフは低い声で呟いた。少年はビクッと肩を震わせると、顔色をうかがうように上目遣いにアレフを見つめた。
「わ、わかったよ」
 どうにも使えそうにないヤツだ。未だにあれが別人だと気付いていないのも鈍すぎて呆れるが、ここは説明してやることにする。
「あいつは、お前が言うミツハラタツミという人間じゃない。俺と同じく、ゲームの世界からこちらに来た人間だ」
「なんだと!?」
 大声を出す少年を、人差し指を唇に当てて黙らせる。
「たぶん、ミツハラタツミと入れ替わったんだろう。俺が、お前の妹と入れ替わったのと同じように、な」
 少年の名はエージ……一條栄治という。『現実』に来て最初に出会った人間であり、自分が入れ替わりのために犠牲にしたプレイヤーの実の兄である。
 妹が異世界に飛ばされたにも関わらず、こいつは「すげぇ!」を連発し、自分に常人以上の力があると知るや、「タツミというガキを半殺にしてくれ」と頼んできた。話を聞けばそれなりの情状はあり、衣食住の世話から武器の調達までおこなってくれたことへの礼として引き受けたのだが――それがまさか、偉大なるご先祖様だったとは。
「これも運命か……。まあいい、ひとまずここを離れるぞ」
 追っ手がかかれば面倒なことになる。今日は出直した方がいい。

「――なるほど、その子に頼まれてやったことだったんですね」
 いきなり声が掛かった。
 木の陰から現れたのは、鮮やかな黄色の服を着た少年だった。首や腕にジャラジャラと装飾品をぶら下げ、左耳にピアスが光っている。
 肩に妙な形をした大きめの黒いケースを背負っていた。エージの家にもあった、ギターとかいう楽器をしまうものだったか。
「でも、平穏な生活を望んでいるマジメなPCに手を出すのは、良くないですよ?」
 少年は人の良さそうな笑みを浮かべたまま、二人を交互に見ている。
「なんだぁ? てめえ誰だ……わっ」
「下がってろ」
 吠えかかるエージの襟首をつかんで後ろに転がし、アレフはナイフを抜いた。同じ「におい」がする――こいつも、明らかに向こうの人間だ。
「ピーシー、とはなんだ。ヤツのこちらでの名前か?」
 距離を調整しながらアレフが聞く。
「いいえ、まさか。PCというのは、プレイ・キャラクターの略です」
 少年はクスクス笑いながら、ギターケースを地面に置いた。
「僕やあなたのようにゲームから来た人間のことを、僕らはそう呼んでるんですよ。ゲーム側の人間、とか、いちいち言いづらいじゃないですか」
 説明しつつ中から取り出したのは、ギターなどではなかった。ジャキッと慣れた様子で、なにか禍々しさを感じる複雑な構造のもの――間違いなく武器だ――を携える。
「ちなみに、入れ替わりの対象となるプレイヤーのことも、単純にPLと略してますが」
「……嘘だろ、あれ銃だぞっ。やべえよ、あんなんで撃たれたらぜってー死ぬって!」
「だったら逃げろ!」
 また騒ぎ出したエージをアレフが突き飛ばした瞬間、ダン! っと腹に響く音がした。
 現実側の人間よりも遙かに優秀な知覚を持つアレフには、二人の間をなにかが高速で突き抜けていくのがわかった。撃たれる、というのは今のを食らうことらしい。
「ひ、ひぁ! アレフぅ!」
「行け、邪魔だ!」
 アレフに怒鳴られ、エージはつんのめるように森の奥へと走り出した。
「へえ……現実の人間なんかどうでもいいタイプだと思いましたが」
「どうでもいいさ。だが、まだ後見人は必要だからな。少々頼りないが」
 相手の皮肉に苦笑で返しつつ逃走ルートを探す。まともにやりあうには分が悪すぎる。少年も気づいているのか、ゆっくりと退路に回り込むように動いてくる。
「やめた方がいいですよ。まだ半端なあなたでは無理です」
 瞬間、目の前に少年がいた。とっさに両腕を十字に組んで防御するが、一見ぞんざいとも見える蹴りに、身体ごと後方に吹き飛ばされた。頭ひとつ分の身長差がある、どちらかといえば小柄な少年に簡単にパワーで押し切られ、アレフは相手が言った「半端な」の意味がわかった。
「っぐ……貴様、制限がないのか?」
 ゲーム内では自身の何倍もあるモンスターを剣一本で両断できるだけのその力を、現実でも最大限に発揮している。少年が相変わらずの笑顔で肯定した。
「僕はもう移行が完了してますので。ですから、時間制限もありません」
 セリフが終わると同時に、先刻聞いた重い音が轟いた。
 彼の持つ銃器はライフル。本来はストック後端にあるバットプレートをしっかり肩に固定して狙い撃つものだが、少年は長身の銃器を片手で軽々と持ち、常人なら脱臼しかねない強烈な反動も意に介さずトリガーを引いている。  
 ほぼ動物的勘で弾道を読み、危ういところを避けたアレフに、少年が再び肉薄した。ロングレンジの武器を持つにも関わらず接近戦をしかけてくるのは、あまり撃ちたくないためか。繰り出したアレフのナイフをスライディングするような姿勢で避け、すり抜けざま銃の柄で脇腹を殴りつけていく。たまらず膝をついたアレフに容赦なく蹴りが入る。
「あなたのようにおかしくなっちゃう英雄が多いんですよね。そういうPCを『狩る』のが僕の仕事です。勇者狩り、とでも言うのかな」
「がぁっ……!」
 背中を踏みつけられる。それだけで肋骨がきしみ、呼吸ができなくなった。
「ここではショウと呼ばれてます。どうぞよろしく」
 ダン! ダン! ダン! と間近で立て続けに発射音が響いた。
 同時にアレフの意識も吹き飛ばされた。

   ◇

 ショウは「ふう」と息をつくと、動かなくなった青年を足で転がし、仰向けにさせた。
 PCは総じて現実の人間より遙かに体力も耐久力もあるが、さすがに大型獣用の麻酔弾を3発もぶち込めば、しばらくは起きないだろう。
 と、胸元で細かい振動が起きた。マナーモードにしていた携帯電話だ。付近の封鎖にあたっていた組織の人間からで、逃げた少年についての処置を尋ねてくる。
「いえ、放置してください。まずはこのPCの搬送を頼みます」
 相互置換対象の実兄となれば、一條栄治もまた、他のPCと入れ替わる現象が起きるかもしれない。泳がせておく方が得策だろう。確保したばかりのPCの扱いを手短に指示し、携帯を切る。愛用のライフルをギターケースにしまうと、自分はさっさとその場を離れた。
 ふと、たった今逃がしてやった不良少年が、現在監視下にある他のPCに要らぬちょっかいをかけていることを考えた。
 あのPCはーータツミと言ったか――今のところ良識的に行動しており、移行完了後のスカウトも検討している。移行前の半端な状態では使い物にならないので様子を見ているが、その障害になるようなら、やはり一條栄治も監視しておくべきか。
「いつまでも僕一人じゃキツイしなぁ。タツミ君も早く割り切れればいいけど……」

 ショウは公園を出てその場でタクシーを拾い、一時間後には中央区に戻った。
 オフィス街の一角にある高層ビルの前で車を停めさせる。ビルのフロントにIDカードを示してギターケースを預け、エレベーターで最上階まで昇り、いくつものセキュリティを通ってたどり着いた先の広いオフィスで、一人の青年に出迎えられた。
「やあ、お疲れ様」
 やや長めの黒髪を後ろで結い、上品な濃紫のスーツを着ている。
 青年の傍らには美しい秘書が二人控えており、そのうちの一人が無言で進み出た。見事なストレートブロンドをゆるやかに編んで肩にかけ、緑のスーツをまとった大人らしい雰囲気の女性だ。中央にある応接セットのソファに優雅に腰を下ろし、ショウを見て微笑む。
 彼はわずかに眉をひそめたが、にこやかにこちらを見守っている青年を見て、小さくため息をついた。ソファに大股で近づいて、秘書の太ももを枕に、乱暴にドサッと背中から横たわる。
「相変わらず手際がいいね。今度の『勇者』くんはどうだった?」
 青年も向かい側のソファに腰を下ろし、気軽な口調で尋ねてきた。
「どうもこうもないですよ。一度は世界を救った英雄だろうに、どうしてこうネジが外れちゃうんでしょうね」
 ショウは目を閉じたまま、億劫そうにひらひらと手を振った。
 その手ですでに、二人の『狂った勇者』をこの世界から抹消している。現実側での生も死も仮のものでしかないとわかってはいるが、決して気持ちのいいものではない。
「仕方ないさ。それだけの大命を果たしたからこそ、よけい『現実』とのギャップに苦しむんだろう。君だって最初、たった一枚のディスクの存在だと知ってどうだった?」
「僕はそれどころじゃありませんでしたから」
 即答する。現実もゲームも、ショウにとってはどうでもいい話だった。
「あなたはどうだったんですか?」
 横目で見つつ逆に問い返すと、青年はあごに指をあてて少し考え込んだ。
「私の場合は……それほど驚きはしなかったな。私の世界にも妖精界だの魔界だの、いくつも平行世界があったから、『現実』もそんなに突拍子のない話じゃなかったしね」
 自分の息子が伝説の勇者だと知ったときの方がよっぽどショックだったよ、と笑う。
 そこにもう一人の秘書が、コーヒーを煎れて戻ってきた。
 こちらの女性は白を基調としたスーツに身を包み、ほぼ黒に近い濃紺の長髪の上半分をまとめ、残りを背中に流している。枕にしている方と比較するとやや幼い印象を受けるが、その物腰には深窓の令嬢を思わせる慎ましさがあった。
「ありがとう。君もここへ」
 ソファを叩いて隣に座らせた彼女を、青年は自然な動作で抱き寄せた。
 どちらの女性も現実の人間だ。青年がゲーム内で妻とした女性たちによく似た人間をわざわざ捜し出し、そばに置いているのだという。
 最初、妻が二人という意味がわからず、重婚ではないのかと聞いたところ、青年はあっさり肯定した。こいつのPLはよほど女好きらしいな、と内心で毒づいたものだ。
 あるいは逆に、表向きはとんでもない堅物で、内側に鬱屈を溜め込んでいたタイプか。どちらにしろ、こいつのプレイヤーも褒められた性格ではなさそうだ。

 PL(プレイヤー)の性格や生活環境が、ゲームの未表現領域の設定(ゲーム上で表現されない詳細設定)に大きく関与していることは、今までの研究でわかっている。
 DQシリーズのコンセプトが「主人公=プレイヤー」である以上それも道理であるが、問題は、PLの隠れた願望や深層心理が、より顕著に影響を与えるという点にある。
 PLの現実生活が歪んでいれば、それだけ理想や願望は大きく強くなっていく。それらが強引に投影されることにより、PCは本来のストーリーとの軋轢によって過剰なストレスにさらされ続け、あげく『現実とゲーム』というショッキングな事実に直面し、精神に異常をきたしてしまうのだ。
 先刻確保したPCも、肉親を奪われたにも関わらず懇意にしている一條栄治の異常な行動を見れば、PLである妹のゆがみ具合もおのずと察せられる。
 アレフも被害者なのだ。でなければ、彼もひとつの世界を救うほどの人物であり、たとえ異世界でも立派にやっていけるだけの器量を保っていられたはずである。
 
 ――それに自分だって、狂ってない、とは言い切れない。
 しょせんおのれも、PLを犠牲にしてこちらに来た時点で、他の連中と大差はない。ただ目的を果たすため、より詳細な研究データを集めるのにやむをえず、この役を引き受けているだけだ。
「すみません、僕、そろそろ戻ります。向こうにも顔を出さないとまずいし」
 ショウは身体を起こした。
「もう行くのかい?」
 つまらなそうな顔をする青年に「あなたもヒマじゃないでしょう」と言い捨てて、さっさとドアに向かう。
「――八城翔君」
 振り返ると、青年はやはり人の良さそうな、少し子供っぽいほどの笑顔で手を振った。
「君の愛しい彼女にヨロシク」
「…………」
 こいつのPLには一度会ってみたいものだ。

   ◇

 フロントでギターケースを受け取り、ビルの前ですぐタクシーを拾った。どうせ経費はすべてあの青年が持つので、遠慮せず楽な方法を使う。
 込み入った中心街を抜け、二〇分ほどで自分の今の家に着いた。庭付きの一戸建て、このあたりでは割と広い方だろうか。
 ショウが戻ると、やや年かさの母親が満面の笑みで出迎えた。
「おかえりなさい、ショウちゃん。今日は早かったのね。お昼はどうする?」
「さっき軽く食べたから、もう少しあとでいいよ」
 なかなか面倒見のいい、気の優しい親だ。春休みにも関わらず毎日のように出かけていることや、いつも持ち歩いているギターケースについては、大学のサークル活動だと説明している。中身を知ったら卒倒するに違いない。
「ちょっと疲れたんだ、少し寝るね」
「あら大丈夫なの? 無理しちゃだめよ」
 心配そうにする母親をなだめつつ、ショウは2階の自室に入った。
 ついこの間まではアニメの美少女グッズが山と積まれた最悪の部屋だったが、ショウはろくに中身を確認せずに一掃した。万が一、大切な彼女をおもちゃにしたような書籍など出ようものなら、その場でPLを始末してしまいそうだったからだ。
 ヤシロ・ショウ。 
 最初の旅の頃からずっと相手の生活を夢で追っていたが、どうしようもないクズだった。入れ替わり、少しいい目を見させてやっただけで、肉親も生活も捨てた無責任な人間だ。最近はまた帰りたいと嘆いているらしいが――いまさら遅い。
 まずテレビの電源をつける。音量はゼロにしている。テレビには電源が入りっぱなしのゲーム機が接続されており、とあるゲームが無音で始まった。
 自分が生まれ育ち、旅をし……そして一度は救った世界が、そこにある。
 ショウは画面の中が無人であることを確認すると、部屋のドアに鍵を掛けた。ピアスなどのアクセサリーを外し、服もすべて脱いで準備をする。食事を取ったのは3時間以上も前なので、胃の中に未消化物も残っていないはずだ。

【自分以外のいっさいの持ち込み・持ち出しができない】

 それが、自分たちが未だに突破できない障壁であり、最大の研究テーマだ。
 唯一の例外は携帯電話である。ショウはいつものアドレスに向け、空メールを送信した。少年の身体の輪郭がぶれ、その姿がメールの送信と共に消えていく。

 ――次に目を開けると、視界が一転していた。
 木調に統一された簡素な室内。長年過ごしてきた、本当の自分の部屋だ。
 衣装ダンスから服を引っ張り出して袖に腕を通す。生地の肌触りなどは現実の物の方がいいが、こちらの格好の方が落ち着く。黄色のチュニックのポケットに携帯を入れ、ブーツを履いて部屋を出ると、鉢合わせた部下がサッと敬礼した。
 自分よりかなり年配の兵士だが、年若い上司によく仕えてくれている。ショウも敬礼を返し、長い廊下を渡って王宮に入った。
 いくつも階段を上り、最上階のテラスに出たところで、ようやく目当ての姿を発見した。
 この城の王女にして、幼なじみ。そして、永遠の忠誠を誓った愛しい人。
「あまり風に当たりますと、お身体に障りますよ」
 声をかけると、艶やかな黒髪を風に遊ばせていた少女が振り返った。少年の姿を認めて花のような笑顔を浮かべる。
「ーーエイト!」
 駆け寄ってきた少女を抱きとめて、彼も微笑んだ。
「ただいま戻りました、ミーティア姫」
 現実では誰にも見せない、心から湧き出す純粋な笑み。
 それが八城翔の名前と人生を奪った少年の――

 トロデーン国近衛隊長・ラグエイト=ハデックの素顔だった。