◆IFDQ/RcGKIの物語



Stage.7 SAKURA MEMORY -Part.1-

----------------- REAL SIDE -----------------


 ヴヴヴヴヴ……! ヴヴヴヴヴ……!

 頭のすぐ横で妙な音がしている。まくらを通して細かい振動が伝わってきて、ほっぺたがくすぐったい。
「んあ……なんら?」
 それがマナーモードにした携帯が震えているんだと、俺はようやく気づいた。そう言えば昨日、夜間は着信音が出ないように設定しておけとタツミに言われて、そうしたような覚えがある。
 その後の記憶は曖昧だ。俺はいつの間にか寝てしまったらしい。 
「うに……もしもし、タツミかぁ……?」
『ちょっとタツミはあんたでしょ? なに寝ぼけてんのよ』
「おぁああ!?」
 予想外に高いキーで返答されて、寝ぼけ半分だった俺の脳ミソはいっきに覚醒した。
「エ、エリス?」
『……ちょっと、エリスって誰?』
 違った、まだ寝ぼけてんな。えーとこの子は、
「片岡百合子?」
『そうですよ。ってかなんでフルネームで呼ぶかな』
 苗字と名前のどっちで呼ぶかまだ決めかねてるからだが。
『まあいいや、おはよう。まったくいつまで寝てるんですか、天才クン』
 ユリコが呆れたように言う。俺、そんなに寝過ごしたんだろうか。
「――ってまだ朝の5時じゃねえか !!」
 時計を見て俺は思わず怒鳴った。電話の向こうでユリコが笑う。
『あはは、起こしてごめんね。とりあえず、出かける支度して降りてきてよ』
「出かけるだぁ? こんな早くにどこ行くんだ」
『いくら平日でも、このくらいの時間に出ないとイイ場所取られちゃうもん』
 なにを言われてるんだかサッパリな俺に、彼女はやはりわからない単語を、実に嬉しそうに投げてよこした。
『この季節はやっぱりお花見でしょ! ね?』
 オハナミってなんだ。しかもこいつ「降りてこい」って言わなかったか?
「もしかして下にいるのか」
『玄関の前で待ってる。お弁当も敷物も用意してるから手ぶらでいいよ』
 おk、レジャー関連のお誘いですね。
 どうすっかな、そういうのは嫌いじゃないが、ゲームの方も気になるし。でも俺の分のメシまで作って来てるんじゃ、断るのも悪いしな……。
『もしかして今日に限ってなにか用事がある、とか?』
 急に心配そうな声を出すユリコに、俺は「いやいや」と否定した。
「そうじゃないんだ、少し待っててくれ。すぐ折り返す」

 俺はいったん携帯を切って、タツミを呼び出した。
『はいはい、どしたのアルス?』
 タツミの方はワンコールですぐに繋がった。お互いかけても繋がらないってパターンが多かったから、なんか新鮮だ。
「おう。どうだ、あれから落ち着いたか?」
『え……? そうか、そっちは朝になったばっかりだもんね。おとといはどーも』
 相方が苦笑する。言われて俺も時差のことを思い出した。ピラミッドの夜のことは、向こうではもう二日前の話になるのか。
 俺が寝る前に消したらしいテレビの電源を入れると、優雅な音楽とともに海原を進む白い帆船が映った。全体がオレンジ色がかっているから、あっちは夕方のようだ。
「もう船を手に入れたのか。……ってポルトガとバハラタを二日で往復したのか!?」
 とんでもない強行スケジュールだぞ。またこのバカは――。
 俺がムッとすると、気配が伝わったのかタツミは慌てて説明した。
『無理はしてないよ。僕の場合、システム外のショートカットが使えるから。魔法の鍵を餌に、ロマリア国王からバハラタ座標の入ったキメラの翼をもらって、直行できたんだ』
 そこで、なにか思い出したのか深〜いため息をつく。
『でもそのせいでひずみが出てるのか、なんかストーリーがおかしいんだよねぇ』
「なにがあったんだ」
『……バハラタに黒胡椒をもらいに行ったら、タニアさんの代わりに僕がさらわれた』
「お前がさらわれたんかよ!」
 うちのプレイヤーはどうしてこう、本来のシナリオの斜め上を行くんだ。
『そんなことはどうでもいいんだけど。で、どうしたの?』
「いやその前に、なぜ勇者がカンダタに拉致られたのか聞きたいんだが――」
『そんなことはどうでもいいんだけど。で、どうしたの?』
 ループしやがった。あまり話したくないことらしい。
 まあ俺も人を待たせてるし、そのうち番外で語ってもらおう。
 前回は場合が場合だったから、けっきょくユリコのことも、奨学金やあの不良少年エージとの関係についても、なにも聞けなかったんだよなぁ。その辺の確認も、また後回しだな。
「今ユリコから、オハナミに行こうって誘われててさ」
 俺が本題を切り出すと、タツミは急に静かになった。1秒、2秒、3秒。
『あっそう。ユリコがね。うん、いいんじゃない?』
 おや〜、ちょっと引っかかるような言い方だな。しかも普通に名前で呼んでるしぃw
「本・当・にいいのか?」
『なんだよその言い方。いいよ、せっかく現実にいるんだから、楽しんできなよ』
 タッちゃんやーさしー。ではお言葉に甘えさせていただきます。
「んじゃ行ってくるわ。お前もなんかあったらすぐ電話しろよ」
『了解。あ! その前に僕のステータスだけ教えてくれる?』
 そうだった、お互いにそのことを思い出した瞬間に向こうのメンバーが戻って来て、それも後回しになったのだ。
「よし、ステータスウィンドウ出せ」
『えーと? コマンドを思い浮かべればいいのかな』
 ピッという軽い音とともに、画面上に黒いウィンドウが展開される。
 ――その瞬間、俺は言葉を失った。
『どうしたの』
「あー……詳細ステータスの方を出せるか?」
『やってみる。コマンド▽つよさ▽ゆうしゃ、かな』
 あいつの言葉に合わせて、画面上で自動的にカーソルが動き、勇者タツミの詳細ステータスが表示される。
 なんだこりゃ。こんなステータスってありか?
『ねえどうしたの。そっちからピッピッて聞こえるから、表示は出てるんでしょ?』
 タツミの不安そうな声に、俺はなるべく冷静に事実を告げた。
「実はそのーーレベルと経験値が『??』でな、最大HPは64だからまあ普通なんだが、最大MPが999なんだよ。素早さ170は……星降る腕輪の効果か。それでも高い方だな。賢さが245ってのはどうなんだろう」
『…………なにそのバランスの悪さ。レベル??ってどゆこと。MP999ってなに』
「俺にもわからん。現在のMPは975なんだが、お前、今日なにか呪文使った?」
『まだひとつも使えないよ、呪文の練習なんてしてるヒマないし』
「あ、しかも減った! 今974になったぞ、オイ」
『はぁ? 僕はなにも……あ』
 俺も同時に気がついた。
 もしかしなくても、携帯、だよな?
『え――!? 番外の “携帯の電池がMP” って、あれ冗談じゃなかったの?』
「それに宿屋とかに泊まったあとで最大MPに戻ってないってことは、減った分は増えないってことじゃないのか」
『僕のMPはプリペイド式かよ! しかも呪文と電話代の合算請求?』
「ということになるな」
『っもう信じらんない! 電話代もったいないから切るね! 行ってらっしゃい!』
「あ、待てって……」
 ツー ツー
 切られてしまった。しっかし、今後はうかつに長電話できないのか。
 うちのプレイヤーはどうしてこう、本来のシステムの斜め上を行くんだ。

 プルルルルルル! プルルルルルル! 

 途端に電話がかかってきた。表示は「YURIKO」になっている。
『遅いからかけたんだけど……やっぱりダメかな?』
 こっちはこっちで最初の元気はドコへやら、ふみ〜んと沈んだ声になってるし。
「大丈夫だ。今行くからもう少し待ってろ」
『良かった! 待ってる』
 ありゃま、ずいぶん嬉しそうだなぁ。
 そういやこの子、タツミに惚れてるんだっけ。
「あのさぁ、やっぱりユリコって呼んでいいか?」
 ちょっと聞いてみる。ぶっちゃけ「カタオカ」って言いにくいし。それに、タツミ君も本当はそう呼びたいみたいですしね♪
『え? ……うん、あんたがそう言うなら、いいよ』
 ふはは、もじもじしてるのが見ないでもわかるww かわいーじゃんw
 エリスもそういうとこあったなぁ、なんてニヤニヤしつつ、俺は簡単に身支度を整えた。
 出がけに別室をそっと覗くと、いつの間に帰ってきていたのか、ヤツの母親が眠っていた。こんな時間に起こすのも悪いから、声はかけないでおこう。
 リビングのテーブルにメモを残して、玄関を出る。

 というわけで、現実生活2日目は友達とレジャーでGO!
 昨日はいろいろあったが、俺の異世界ライフ、まあまあ順調じゃねえ?
 ……向こうはワヤクチャみたいだが、まあ頑張ってくれたまえタツミ君。


   ◇


 朝日に照らされた街並みが、のんびりと後方に過ぎていく。窓のすぐ外を等間隔でふっ飛んでいく柱を見るに、けっこうなスピードなんだろうな――とは思うんだが、初めて乗る電車は意外と退屈だった。
 風を肌で感じられるラーミアの方が「移動してる」って気はするな……。

 悪い癖がつきかけてる。
 俺は軽く頭を振って、黄金の鳥の幻影を追い出した。ことあるごとに向こうと比較して懐かしがってたら、この先やっていけない。
「なんか三津原も眠そうだな。俺も倒れそうだよ……ふぁ〜」
 向かいの席で、戸田和弘が大きくあくびをした。
 この長身のスポーツ少年も、片岡百合子に朝早くから駆り出されたとのこと。マンションの下で再会した俺たちは、「では出発ー!」と腕を振り上げるユリコを挟んで、お互いに苦笑したのだった。
 朝から元気いっぱいな彼女を少し「ウゼえw」と思わないでもなかったんだが、パステルブルーのワンピースでキメちゃってるユリコちゃんは、ちょっとホンキでかわいいので俺は許す。カズヒロもそうなんだろう。男って単純よねぇ。
「しかし、あの不良どもをよく振り切れたな」
 俺が聞くと、カズヒロはまたあくびをした。
「あいつら頭悪いからなぁ。こういう言い方はなんだが、所詮、三流高校の連中っつうか」
 そういやあの三人が着てた服、タツミが学校で着てるのとは違ってたっけ。こっちの学生って、他校の生徒とはほとんど交流が無いものと認識していたが。なんか複雑な背景がありそうだ。面倒は避けたいんだがねー。
 カズヒロがちょんと足の先で俺をつついた。
「前にも言ったけど、困ってたら遠慮しないで頼れよ? うちの親父ってほら、市議会議員とかやってっから、あいつらもあんまり俺には手ぇ出してこねえしさ」
「ん、わかった」
 カズヒロの親父さんはエライ人なのか。覚えとこ。
「お待ちどう。はいどうぞ」
 そこにユリコが戻ってきた。俺とカズヒロに冷たい缶をくれて、となりに座る。
「探したんだけど、豆乳は売ってなかった。お茶で良かった?」
「そうか。いやいいんだ」
 牛乳が体質的に飲めないだけで好き嫌いはねえから、独特の渋みがある「緑茶」も平気。
「お腹空いたでしょう。待ってね」
 ユリコは足下に置いてあったバスケットを膝に抱え上げて、中から半透明の箱を取り出した。サンドイッチとサラダが、彩り良く収まっている。
「これ朝の分だから、全部食べちゃっていいからね」
「おー、うまそうじゃん」
「いただきまーす」
 あ、うめえ。昨日は結局ロクなモン食ってねえからな。旅してると丸一日食えないなんてザラだったから苦痛じゃないが、さすがに腹減ってたから幸せだ。
「しっかし片岡も上手になったよなー」
 すぐに二つ目のサンドイッチに手を伸ばしながら、カズヒロが思い出したように笑う。
「俺と片岡、中1ん時に同じクラスだったんだけどさ、家庭科の実習で片岡が作ったマドレーヌ食って、ハライタ起こしたやつがいたんだぜ」
「マジで?w」
「戸田! もうあんた食べるなッ」
 サッとカズヒロの手からサンドイッチを奪い取るユリコ。すかさず新しいのを取ろうとした彼から、俺も素早く箱ごと遠ざける。
「だっ、お前ら、なにその連携プレー」
「自分は女の子とご飯の味方っす」
「可哀想に、儚い友情ねぇ」
 一拍おいて、三人で同時に吹き出した。

   ◇

 それから俺たちは二駅目の「サクラ坂台」ってところで降りた。謎の単語「オハナミ」が出がけに引いた辞書で「花見/桜の花をながめ、遊び楽しむこと。」だとわかったので、目的通りの地名だ。
 駅の正面から真っ直ぐゆるい坂が続いていて、その先に、所々淡いピンクに染まった山があった。
「小学校の何年生だったか、遠足で来たっきりだな」
 カズヒロが懐かしそうに山を見遣る。ユリコが相づちを打った。
「あたしもそうだよ。タツミはその前に引っ越したから、来るの初めてだよね」
 らしいな。ヤツの生まれはこの街だが、幼い頃に遠くに引っ越して、今の高校に入るためにまた戻って来たと記憶している。ユリコもヤツの幼なじみではあるが、せいぜいここ一年の付き合いなのだ。ありもしない「想い出話」に付き合う必要がないから、その辺は気楽でいい。

「このあたりでいいか。三津原、そっち引っ張って」
 二〇分くらい坂をのぼったところで、カズヒロが敷物を取り出した。俺が手伝ってる間に、ユリコが風で飛ばないように重石(オモシ)を持ってきて四隅に置いた。
「貴重品だけ持てば大丈夫だろ。この上に広場あったよな。フリスビー持ってきた」
「確かあそこから海も見えたよね」
 荷物を置いてさっそく歩き出した二人の後に、俺もついて行く。
 それにしても、どの桜も満開で見事なものだ。
 アリアハン城にもジパングから輸入された木が一本だけあって、エリスと夜中にこっそり忍び込んで見に行ったことがあった。月夜の桜もきれいだったな。懐かしい。
 ……あ、また悪い癖が。気をつけねば。

「タツミ行ったよー!」
 薄い青空をオレンジの円盤が飛んでくる。背面キャッチ! おーっと歓声を上げる二人に(かなり力を抜いて)投げ返してやる。
 いいねいいねー。こういう普通のガキっぽい遊び方、憧れだったんだよ。旅の間はどこ
行ってもモンスターの影がちらついて、のんびりできなかったし。
「あ、ごめーん!」
「こーら、どこ投げてんだw」
 その方向は、先が急な坂になっていて、そこを超えると取りに行くのが面倒になる。本気を出せば取れないことはないけど、ここは追いつけないのが普通かな。
 見当違いな方向に飛んでいったフリスビーは、たまたまそこにいた男の手に収まった。坂の手前の大きな桜の木に寄りかかって、男はフリスビーをしげしげと眺めている。
 黒いサングラスに、上下は黒いレザー、かな? そんなのを着ている。風雅な桜の下に、全体的にタイトなその格好はあんまり似合わない気がした。
「すんませーん」
 投げ返してくれ、の意味で声をかけたが、男は逆に俺に手招きした。まさか「ちゃんとここに来て謝れ」ってんじゃねえだろうな。
「すいません。わざとじゃないよ」
 言いながら近づいていくと、男はサングラスを外して胸のポケットに納めた。
「ここ、いい場所だな」
 男の背景には、住宅街が見下ろせて、その遠くにうっすらと青い水平線が見える。
「あっちの二人は友達か?」
 再び俺を見て、彼はフッと笑顔を浮かべた。まだ若い、20代前半くらいか。
「ですけど……あの、それ返してくれませんか」
「ああ――」
 男は円盤を持った手をスッと後ろに引いた。そして……思いっきり海の方に投げた。
 唖然とした俺だったが、男がまだニヤニヤしているのを見て、ついカッときた。
「なにすんだよ!」
 そいつの胸ぐらをつかみかけた、その瞬間。俺は逆に腕を取られ、坂に投げ出された。

   ◇

「とっとっとととととと、とあー!」
 前転で着地成功! こんくらいの奇襲で無様に転がる勇者様じゃないぜ。
 って、奇襲されたのか俺?
 ザン! と土を蹴る音がする。反射的に横に避けると、一瞬前まで俺がいた場所に、男
のごっついブーツがめり込んでいた。
「てめ……!」
「あんなくだらないお遊びより、こっちの方が楽しいだろう?」
 男は笑顔のまま、太ももに縛り付けていたホルダーから、刃渡り三〇センチはあるブレードナイフを取り出した。マジかよ。
「タツミ、大丈夫か!?」
 カズヒロとユリコが坂の上で叫んだ。降りてこようとする二人を手で制し、
「来るな!」
 怒鳴り返してから、俺は身を翻した。場所を変える。そろそろ増えてきた桜の見物人や、あいつらを巻き込まないためもあるが、なにより俺が思い切り動けねえ。

 桜並木が続く歩道をそれて林道に飛び込むと、男も後を追ってきた。山林の奥まで行けば、簡単には第三者の介入もないだろう。
「足も速いな。防御力はどうかな?」
 再び地を蹴る音がする。柔らかい腐葉土の上で音がするって、どんだけの脚力だよ。
 林道のサイドには、散策者が迷い込まないようにか黄色のロープが渡されている。俺はロープを通している鉄製の杭を一本引き抜いて、振り向き様、横に払った。金属がぶつかる甲高い音が響き渡る。受けた力を手前に逃して、邪魔なロープを相手のナイフで切り落とす(いや、わざとやってくれたか)。
 バックステップで距離を取った。
「あっちのヤツ……だよな? 降りかかるメラはギガデインで返すのが俺の流儀だぜ」
「でもこっちじゃ呪文が使えないだろう」
「まあな。名前と理由を述べる気はあるか」
 一応尋ねてみたが、相手は肩をすくめるだけだ。
 あーそう、じゃあもう聞かんよ。――言い訳もな。
「ったく、せっかくの『祝・青春』を3レスで台無しにしやがって、覚悟しろよ」
「覚悟なんてマジメに構えることでもないだろ。これは……お遊びだ」
 左肩をやや下げて、右肘をしぼるように引いてナイフを構える。俺と同じ型? そう認識したと同時に、相手は一気に間合いを詰めてきた。

   ◇

 相手の武器は、その格好に合わせたようにブレードもグリップも黒。余計な装飾がなにもないシンプルな造りで、明らかに殺傷を目的として設計されている本格的なものだ。
 それも、先日の不良少年みたいなのがイキがって持ってるだけならともかく、この男にはそんな素人じみた気負いなどまったくない。本物の「斬り合い」に慣れている人間だ。
 だが、軽い。
 男が振り下ろしたナイフを、俺は細長い鉄の杭で再び受け流した。こんな頼りないエモノでさばけてしまうのは、相手の武器が軽量だというより、力のかけ方が散漫だからだ。
「ふむ……妙だな。うまく動かん」
 男も実力を出し切れていないことに気付いたようだ。
「現実側は制限があるとは聞いたが……どこがおかしいんだ?」
「俺に聞くなよっ」
 あのな。親切に答えるわきゃねえだろーが。
 確かに制限のせいもあるだろうが、こいつ、構えを間違ってんだよ。
 俺の基本の型であるその構えは、応用が利くのでマルチタイプと誤解されがちだが、実はナイフのような軽い武器にはあまり向かない。筋肉の生み出すエネルギーを1エルグも無駄にせずインパクトに変換する、ってのを追求したもんだから、武器にある程度の重量が無いと刃が走りすぎて、パワーロスの方が大きくなってしまう。
 軽量武器には専用の型がちゃんとある。どこで習ったんだか知らねえが、親父が基礎を創り、俺が体系化し、後にアレフガルドで「ロト流」としてまとめられるはずのそれは、中途半端な知識で使いこなせるもんじゃねえ。
(それでも5:5だろうなぁ……)
 こいつの言うとおり、制限がかかっているのは俺も一緒だ。身体的にどの程度までの負荷に耐えられるのか自分でまだ把握できてない以上、いつなにが起きるかわからない。早めに終わらせるべきだ。だがまだ早い。一般人が歩く遊歩道から、もう少し離れないと――。
 すれ違うのもやっとの狭い林道で打ち合いながら、押されているフリで奥へ誘い込む。
「おい、どこまで逃げる気だ」
「うるせえっ。てめえこそ腰が引けてるぞ」
「ふん……関係ない人間を巻き込まないように、か?」
 俺の内心を見透かしたように、男は鼻で笑った。
「しょせんあんたも、プレイヤーを身代わりにしたクチだろうに」
「!」
 男が繰り出したナイフの切っ先が、俺の左手の甲をかすめていった。一拍遅れてピリッとした痛みが走る。
「いまさらイイコぶるなよ」
「だからって、なにしてもいいわけじゃねえだろう」
 傷口から沁み出した血が、指先を伝って地面に滴り落ちた。いつもならホイミで簡単に治せる傷だが、こっちじゃそうはいかない。
「この世界には回復呪文も蘇生呪文もないんだ。間違って人を傷つければ……」
「そうだな。殺せばそれで終わりってのは、ラクでいいよな」
 今まで抑えていた苛立ちが、カッと熱を持って脊髄を駆け上がった。
「てめえみてえなのが、俺の型式使ってんじゃねえ!」
 低い位置から間合いを詰め、鳩尾を狙って鉄杭を突き上げる。
 ぎりぎりで避けた男が、俺の背中にナイフを振り下ろした。俺はそのまま地面に片手をついて足払いをかけ、相手が飛んでかわしたのに合わせて方向転換。
 瞬間、目の前に男のブーツが迫っていた。上半身をのけぞらせたが勢いを殺し切れずに、胸に蹴りを食らって吹っ飛ばされる。木の幹に背中がぶつかり、薄桃色の花弁が舞い散った。肺から無理やり押し出された空気を補充する間もなく、次の一撃が迫ってくる。
 ギン!
 黒いブレードを、鉄杭で思わず受け止めた。しまった、と思った瞬間、とうてい鍔迫り合い(ツバゼリアイ)で勝てるはずのない細い鉄杭がそこから折れ、勢いに乗ったナイフが俺の喉を斬り裂いていった。
 パッと血しぶきが飛んだのが自分で見えた。
(やばっ……)
 回復呪文がない、という恐怖感のせいで、対応が一瞬遅れる。
 男は容赦なく俺の足を払い、顔面をつかんで後頭部を地面に叩きつけた。
「が……!」
 頭の中が白く弾けた。腹にズシッと重いものが乗っかって、息ができなくなる。
「なにが伝説の英雄だ。ただのガキじゃないか」
 喉にヤツの指がかかった。目の前に、血のせいでよけい黒光りするブレードが突きつけられた。
 うわー、もしかして俺、めっちゃピンチじゃね? 人の首を締め上げながら、男はなんかブツブツ言いだしてるしっ。
「普通に血も赤いしな。あれか、開いたら中身は違うとか? どうなんだ」
 ちょwwwww中身っておまwwwwwwwwww
 いーやー! こんなサイコさんに解体されるなんてゴメンだー!!
 俺は地面の土をえぐって、力任せに相手の顔に叩きつけた。使える物はなんでも使うのがオレ流だ!
「なっ……」
 ひるんだ一瞬の隙に、折れた鉄杭を男の腹に突き立て、ひざで腹を蹴飛ばした。男の下から這い出して、必死に息を整える。首に手を当てて傷の程度を確かめてみると、どうやら頸動脈やリンパなんかは無事みたいだ。一応よけたつもりではいたが、思ったより血が出てヒヤッとしたんだよな。
 相手も浅かったのか、腹に手を当ててから小さく息をついている。

「……あまりきれいな戦い方ではないな」
 顔についた土をぬぐいながら男が言った。
「ケホッ。ア、アホか。戦いなんてたいがい泥臭いもんだろうが」
 そんなスマートにキマる戦闘なんて、強者が弱者をいたぶる時くらいのものだ。
 ――そう続けようとして、俺はそのあとの言葉を飲み込んだ。男がジッとこちらをにらんでいる。あの薄笑いはもうなかった。
「なんだそれは。伝承と違うじゃないか」
 そこにはなんの表情もなく、瞳だけが氷のように冷たい。背筋がゾッとした。

   ◇

「おかしいな。『勇者は常に華麗に戦うもの』じゃないのか?」
「なんだよそれ」
 俺が警戒していると、男は急に背筋を伸ばして、ナイフを持ち直して眼前に立てた。
「俺はアレフ。アレフィスタ=レオールド。あんたは?」
 左手を十字にクロスさせ、アレフガルド流の騎士の礼を取る。
「……本気かよ。せっかく平和な国に来て、バカじゃねえのか」
 戦いの最中に名乗るのは、たいていの場合、敵を殺すときの死出のみやげだ。それでも相手が名乗ってきたからには、こちらも名乗りを返さなきゃならない。
「アルスだ。ーーアルセッド=D=ランバート」
 俺は次の武器とする鉄杭を地面から引き抜いた。強度こそ足りないが、リーチと「刺す」ことに特化してる分、まだナイフとは相性がいい。無いよりはマシ、という程度だが。
 正直、ちょっとヤバイ。どうもさっきから身体が重くてしょうがないのだ。 現実側の制限のせいか? それにしても、あまりに消耗が早すぎる――。

 そのときだ。葉ずれの音とともに、俺の視界にパステルブルーが現れた。男の後ろでユリコが、恐ろしい物でも見たように、両手で口を押さえている。
「タツミ……!? そんなに血が……」
「バカ! 逃げろユリコ!」
 俺が叫ぶと同時に、男が再びニヤリと笑った。身を翻し、真っ直ぐ彼女に向かっていく。
「関係ねえやつに手ぇ出すな!」
 追いかけようとした瞬間、ガクっと足から力が抜けた。なんだ? さっきの後頭部への一撃で脳震盪でも起こしたか? いや違う、なにかおかしい。まるでタイムリミットでも来たような。ちくしょう、どうなってやがんだ!
 恐怖で身がすくんでいるのか、彼女は動かない。男がナイフを振り上げた。
「ユリコ……!」

 スパーン!
 ……といい音がして、彼女のハイキックが男のあごに決まった。

「あんた、あたしのタツミになにすんのよぉ!」
 しかも二段蹴り。
 そのまま流れるように回転し、ふわっとワンピースが広がって(ピンクのレースでした)、気合いも腰も入りまくった見事な回し蹴りが男の脇腹にメリ込んだ。
 たまらずよろけた男の顔を両手でムンズとつかむと、さらにひざを叩き込む。2発、3発と入り、最後の仕上げとばかりの腹蹴りをくらって吹っ飛ばされると、男は地面に転がったまま動かなくなった。
 マジっすか。
「タツミ! タツミ、大丈夫 !?」
「いえ、大丈夫です。ええもう」
 思わず逃げ腰になる俺に駆け寄ってくるユリコちゃん。
「やだ、こんなに血が出てるッ。待ってね、すぐお医者さんに連れて行くからね」
 グシャグシャに泣きながら俺をギュムっと抱きしめるユリコちゃん。ちょっデカ、柔らかいんですがっ。かなり着やせするタイプですねオネーサン。
 これバレたらおっかねえなぁ、と思いつつも、役得だしまぁいいかと浸ることに決定。
「……邪魔が入ったな」
 だぁ! サイコ男(アレフだっけ?)起きてくるし。お前はもう黙って寝てろ。
「なによ、まだヤル気? 沈めるわよ?」
 ユリコがギロっとにらむ。俺でさえゾッとした男の眼力にもまったく怯んでない。
 アレフは自分の左腕の袖を上げると、腕時計を見て忌々しげに舌打ちした。
「完全に時間切れか」
 小さくつぶやいて、もはや俺たちなんか完全無視で背中を向ける。まるでなにごとも無かったかのように、ガサガサと林の奥に消えてしまった。
 ああいう切り替えの早さは一流戦士のそれらしいのに。狂気じみた言動がアンバランスで、はっきり言って気味が悪い男だ。
「通報した方がいいだんだろうけど……」
 ユリコが悔しそうに唇を噛んだ。ああそうか、「奨学金」だかなんだかの関係で、ケーサツはダメなんだっけ?
 それにしても、やっぱり変だ。なんか頭がボーッとする。まるで全MPを一気に消費したみたいな疲労感が襲ってきて、身体が動かない。本当にどうなってるんだろう。
「あ、あれ、タツミ……? あんたコンタクトなんかしてたっけ?」
 は? なんだいきなり。こんたくと、とはナンデスカ。
「今確かに……でも、そう言えば……」
 彼女がなにやら動揺しているが、急激に理解力が低下していて、意味が入ってこない。
 よくわかんねえけど、ただ、ユリコちゃんせっかく可愛い服だったのに、血やら草キレやらでドロドロになっちゃってて、なんか悪かったなぁとか。そんなことがグルグル回って。

「あなた、誰? タツミじゃないの……?」
 彼女の呆然としたような言葉を最後に、俺の意識はすうっと闇に呑まれた。



【おまけ】


アルス「はいこれ、宿スレ定番のステータス。だけどお前の場合、意味あるのかねぇ?」
タツミ「知らないよ! なんだよこれぇ……」

【タツミ】
レベル:??
HP:58/64
MP:974/999(プリペイド式)
装備:E聖なるナイフ、E旅人の服、E星降る腕輪

力:12
すばやさ:170
体力:19
賢さ:245
運の良さ:118
攻撃力:22
守備力:18
Ex:??