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◆u9VgpDS6fgの物語

アルカパ[7]
蝶番の壊れかけた扉の先には毛羽立って変色した絨毯が敷き詰められ、
中ほどには城内で初めての両開きの大きな扉が設えてあった。
この城がまだ幸せに平和に存在していた頃の、
きっと高貴な人間の場所だったんだろうとそれだけで解った。

そっと扉に触れる。
ささくれ立って面影さえ残さない上質な上紙が
俺の掌に抵抗もせずぱりぱりと剥がれ落ちた。

扉を開く。

やはりそこは王と、王妃の部屋だった。
天蓋の付いた大きなベッドが並び
扉の外れた背の高い衣装箱が置き去られたまま佇んでいる。

反対側のソファには、さっき見た女性が静かに俯いていた。
泣いているようにも見えたが、
顔を上げた女性の表情は書庫で見たそれよりもずっと穏やかだった。
その姿からは、不安も、恐怖も感じない。
女性は俺を見、ビアンカを見、少し躊躇うように口を開いた。

『わたしは、このレヌールの王妃、ソフィアと言います』
耳を澄まさないとすぐに薄闇に消えてしまいそうな、か細い声。
俺は歩を進めて、彼女の傍に立った。

『もう十数年も前、この城の者は皆、魔物に襲われ殺されてしまいました。
邪悪な者が世界中で、身分のある子供をさらっているとは聞いておりました。
でも、わたしくとエリック・・・王の間には、子供は居なかったのです。
どうしてあんなことに・・・』

声が震えているのが俺にもわかった。
王妃は気丈に笑顔を保っている。
その睫毛の先に一滴、涙が零れ落ちるのを拒むように震えている。

『今となってはもう、嘆いても仕方のないことです。
せめてわたくし達は静かに眠りたい・・・ですが今、
この城にはゴースト達が住み着き、城の皆を呪われた舞踏会に縛り付けています・・・。
どうか、どうかあのゴースト達を追い出してください・・・』

王妃のぼんやりと透き通った姿が
今にも消え入りそうにまた俯いた。


『王妃さま・・・かわいそう・・・』
部屋を出て扉を閉じると同時に、ビアンカが表情を曇らせて呟いた。
うん、と声に出して頷くと、俯いたままビアンカは小さく
『サン、頑張ろうね。どうせお化け退治に来たんだもの。いいよね』
言って、その小さな左手を胸の前で握り締めた。

がんばろう。そう、口の中だけで呟き返して
俺は廊下の向こう、来たのと反対側の扉を見据えた。


更に階段を降りると、フロアは今までに無い暗闇に支配されていた。
明らかに今までの城内とは異なった空気がフロア全体を支配している。
気味の悪い気配がそこかしこを行き来しているような、
異様な雰囲気を感じて俺は立ち止まった。

不意に雷光が窓を貫く。
轟音と共に照らし出された踊り場には
浮遊する得体の知れない何か(人魂、ってきっとこんな感じだろうな)が
幾つも連なって漂っていた。

窓から時折差し込む灯りを頼りに、人魂を避けて慎重に一歩ずつ進む。
人魂のような何かは、こちらに何かしてくるでもなく、
ただそこにふわふわと浮いていた。
降り積もった砂埃が足元でじゃり、と音を立てる度に
その何かが振り向いて襲い掛かってくるんじゃないかと
ありえない(だって俺は知っているのに)想像が脳を過り背筋が凍る。

やっと辿り着いた反対側の階段を駆け下りると、
そこはまたほのかに明かりが差す小さな部屋だった。
ふう、と緊張を解くように息をついてビアンカが
『あれ、なんだったのかしら。別に何かしてくる訳じゃないのね』
と可笑しそうに言った。

部屋を見回そうと振り返ったとき、不意に空気が揺れるのを感じた。
あ、と思わず声を上げる。
それに気付いたビアンカが俺の見るほうに顔を向け、笑顔を消した。

階段から少し離れた場所。
上品な、王の身なりをした男が、王妃と同じ
悲しいような穏やかな表情をこちらに向けていた。
その体はやはりうっすらと半透明に景色を通し、白く淡い光を纏っている。

声を掛けようと一歩近付こうとした時、
王はするりと地面をすべり片隅にある小さな扉の向こうへ消えていった。
ついて来なさい、とその背中が言っていたように感じた。

扉へ向かおうとする俺に、ビアンカは
『もう、今のってきっと王様よね?
王様も王妃様も、どうしてすぐに何か言わずに消えちゃうのかしら』
言って、少し困ったようにまたくすくすと笑った。

扉を開けると、大広間を見下ろす渡り廊下。
薄闇の中には音楽が鳴り響き、至る場所で至る姿の人間が手をとり踊っていた。
たった一枚の扉越しにも聞こえてこなかったその舞踏会は、
とても華やかとも楽しげとも言えない物だった。
音楽に合わせて聞こえるのはすすり泣く声と
それを囃し立てるしゃがれた不気味な声。

そろそろと足を踏みはずさないよう、気をつけて進みながら広間を見下ろす。
豪奢な装飾はどれも光を失い、悲しげにくるくると回る人々の影を微かに映している。
薄くどんよりとした空気が部屋中に漂っているようで、俺は息苦しさを感じた。

渡り廊下を抜け扉を開くと、奥の階段の向こう、
小さな扉を抜けていく王の後姿が見えた。
言葉の通り、扉を開閉することもなく
薄く透き通った体は薄い板を通り抜けて扉の向こうに消えていく。

追いかけて扉を開け放つと、城の外壁を回る細い通路だった。
俄かに強い風が吹きつけ、合わせるように雷鳴が唸り声を上げる。
角を曲がり覗き込んだ先、崩れ落ちた通路の手前に王は立ち止まりこちらを見ている。

『おお、ここまで来る勇気のあるものが居ったとは』
王様らしく蓄えた髭の奥で、目を細めながら王はか細い声で言う。
時折鳴り響く雷に掻き消えてしまうのではないかと、
俺は一歩距離を詰めて耳を澄ました。

『もう気付いて居ろうが、何年か前からこの城にゴースト達が住み着いてしまった。
私も妻も、城の皆も、穏やかに眠る事さえ叶わぬ・・・。
どうか願いじゃ。ゴースト達のボスを追い出してはくれぬか?』

>いいえ

を選びたい衝動に駆られたが、思案する一瞬の沈黙の隙にビアンカが
『もちろんよ!ねえ、サン!』と叫んだ。

勝手なことしてくれてんじゃねえよ。
思ったが相手はガキだと自分に言い聞かせ、なんとか拳を収めて俺は「はい」と頷いた。

『そうか、やってくれるか。そなた達はまことに勇気のある者達じゃ。』
王は満足げに双眸を崩し、深く頷く。
『ゴーストのボスは4階の玉座の間に居る。暗闇に閉ざされた階があったじゃろう?
扉の向こうの奥の階段を上がればすぐに辿り着けるじゃろう』
『サン、行きましょう!』
真後ろから急に裾を引かれて、俺はたたらを踏みながら
駆け出すビアンカを追って走り出した。
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